小説はいま世界のあらゆる場所で書かれていますが、もともとはヨーロッパで生まれた芸術の一形式です。芸術は感性的なものでも知的なものでもありますが、小説はとくにその知的な部分が際立った形式といえます。あえて表現するなら、すぐれた小説はそのとき人間がしめしうる最高の知性のあり方がどういうものかを教えてくれます。それはまた、知的なものがそのとき感性的なものや美的なものとどうつながっているのかも教えてくれます。
このような小説という芸術形式のさまざまな特質や問題を現代のヨーロッパ小説を中心に検討しています。
自分が楽しめる対象をあつかう研究
文化、芸術をあつかう研究では、従来の枠組みを越えていくようなテーマ、領域やジャンルを横断していくようなテーマがしばらくまえから多くなっているようです。
そうした状況に多少でも注意を払っていると、興味の対象にも拡がりがでてきます。そうした関心のあり方の変化にしたがって、できる範囲でという条件付きながら、ほかのいろいろなテーマにも取り組むようにしてきました。アニメーション、チェコの視覚芸術と音楽文化、実験映像、そして「日本のロック」などです。
具体的な研究対象はその時々でかわっていきますが、こういったテーマをあつかいながらつねに考えているのは、個々の対象にとらわれず、芸術や文化をいわば総合的にとらえることができるような視点、理論、方法論を自分なりに構想できないだろうかという点です。いずれにしても、自分が楽しめる研究をしていきたいと思っています。
分野はどう活かされる?
大学の所属教室では芸術全般があつかわれており、学生は芸術のさまざまなジャンルや領域について学んでいます。そのような観点からとくに専門的な知識を要求されるような職種をあげるなら、図書館司書、美術館学芸員、編集者になった卒業生・修了生がいます。テレビ局や大手の広告代理店に就職した者もいます。
人間の生をみつめ、人間の感性、知性、精神、思考がどういうものであるのか問うことに文学の大きな役割のひとつがあります。いいかえれば、わたしたちが日々生活すること──考え、感じ、行動すること──の意味を言葉によって考え、いいあらわそうとしているわけです。
ヨーロッパ文学という領域はもちろんヨーロッパに属する作品を対象とし、そこに描かれているもの、そこに表現されているものを検討しますが、それはおのずとわたしたちの生、わたしたちの感性、知性、精神、思考のあり方について考察することにもつながってきます。
このように書くと、何かまじめで、重々しく、むずかしいもののように思えるかもしれません。たしかにそういうものもありますが、ふまじめで、軽い、うわべだけのものもふくめて文学であることをいい添えておきましょう。ヨーロッパではそんなお遊びのような作品もたくさん生み出されています。
規模の大きい大学ではないので、スタッフの数もかぎられており、そのためカバーできる範囲はかならずしも広くはありませんが、目配りの利いた調査にもとづくしっかりとした研究がなされています。新しい動向や今日的な状況もきちんとフォローされており、充実した研究・教育の場が成立しているものと思います。
興味がわいたら~先生おすすめ本
存在の耐えられない軽さ
ミラン・クンデラ
わけのわからないタイトルだし、いきなり哲学の話が出てくるし、社会主義政権下のチェコスロヴァキアという、遠く離れた時代と場所が舞台だし、しかも大人の恋愛を描いている……。もし取っつきにくいところがあれば、そこはすべて飛ばしてもいいですし、全体の筋がわからなくてもかまいません。目に留まった個所を少し読み進めてみてください。さまざまな愛のかたち、エロティシズムの諸相、理解と誤解と無理解といったことがらが意外な仕方で語られていることに気づくでしょう。その独特な語り口を味わってみてもらえればと思います。この小説は映画化もされているので、映画を観て興味を持ったら原作を読む、というのでもかまいません。 (千野栄一:訳/集英社文庫)