文学一般

日本は脅威か興味の対象か~19世紀イギリスの小説や旅行記の中の日本


橋本順光 先生

大阪大学 文学部 人文学科 比較文学専修/人文学研究科 人文学専攻 文学コース

どんなことを研究していますか?

「比較文学」「比較文化」という学問は、誤解を前提としています。文化や物語は、受け手によって伝言ゲームのようにつくりかえられます。私は19世紀以降のイギリスで出版された小説や風刺漫画の中に見られる「アジア脅威論」や「東洋趣味」を研究しています。誤解も多いのですが、その方がイギリスを知るためには役に立つことがあります。

恐れと憧れは一見正反対に見えますが、同じコインの裏と表なのです。イギリスが大きな力を持っていた19世紀、日本の成長は彼らにとって脅威でしたが、伝統的な日本文化は興味の対象でした。一方、日本の一部の読者にとっては、「脅威=日本の国力を認めてもらったこと」であり好ましく、逆に「東洋趣味への興味」は日本の文明化が評価されてないのだという失望だったのです。

旅行記が異国趣味を刺激し、また新たな旅行記が生まれる

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また風刺漫画の比較研究もしています。ある国がある国を風刺する漫画は、セリフを入れ替えるだけで、正反対の意味になります。実際、ある国の帝国主義を、地球へ侵略する火星人のタコとして描く漫画は、同時に、自分の国がタコとして相手に描かれることになります。そんなふうにお互いを盗用しあいながら、変化していく実例を発掘しています。

風刺漫画の「描く・描かれる」という関係の文学版が、旅行記といえます。旅行記はヨーロッパの異国趣味を大きく牽引し、それに憧れた読者もまた多くの異国を訪れました。幻滅した旅人が旅行記を書きかえることもあれば、新たな読者が別の名所を発見したりすることもあります。道路や乗り物などインフラも旅行記と持ちつ持たれつの関係で発展してきました。西洋の旅行記で「描かれる」側だった日本でも、20世紀に入ると、英国の東洋航路というインフラを逆に利用して、独自の観光ルートを作り、膨大な旅行記が刊行されるようになります。

風刺漫画や旅行記の比較研究を通して、社会情勢が文学・文化に影響を与えてきた過程や、逆に文学・文化によって社会が動く過程も明らかになってきます。

学生はどんなところに就職?

一般的な傾向は?
  • ●主な業種は→教育・学習支援、公務、情報通信業
  • ●主な職種は→教員、公務員、マスコミ
  • ●業務の特徴は→広義の意味で教育と研究
分野はどう活かされる?

多種多様な主題を調べ、それについてわかりやすく説明したりまとめたりするところは、学んだことを活かしているといえるでしょう。

先生から、ひとこと

イルカの前ヒレとパンダの手は、形は違いますが、同じ哺乳類の前足です(相同)。一方、イルカの前ヒレとマグロの前ヒレは、形は似ていますが、器官は違います(相似)。比較文学は、いわば文学の相同と相似を研究する学問です。ある物語の受容を扱うのが「相同」だとすれば、起源が異なる物語の共通点を指摘するのが「相似」となります。解剖にも似た精読や比較で、意外な構造が明らかになる面白さを、ぜひ社会のいろんなところで役立てていってください。

先生の学部・学科はどんなとこ

大学の学部から比較文学を学べるところはそう多くはありません。日本語でも英語でもたくさんの物語や研究に触れることになるので勉強量は多くなりますが、現代のポピュラーカルチャーを含め、幅広い研究を行うことができます。これは文学部全体にいえますが、大学院に進学する学生も多く、修士号を取得後、一般企業に就職する学生が大勢いるのも特色です。

先生の研究に挑戦しよう

自分のよく知る地域が登場する小説を探してまとめて読んでみてはどうでしょうか。都道府県を網羅した『ふるさと文学館』シリーズや地元の公立図書館などが、いい導きになるでしょう。

ある土地を描く際に、何を描き、どこを誇張し、どこを無視するか。それは作家だけでなく、時代やジャンル、掲載誌などで大きく変わることがわかるでしょう。外国からの観光客にどう映っているのかも重要です。県民性や県のイメージというものが、どのようにして作られていったか見えてきますし、同時に、ずっと使い回されている主題や資料が浮かび上がってくるはずです。

それだけ資料やイメージが強烈なので、触れないわけにいかないのか、あるいは鉄道などのインフラや観光ルートによって根づいてしまったのか。使いまわしや剽窃、伝統の捏造などと簡単にかたづけずに、なぜ何度も繰り返されるのかを考えてみましょう。文学が社会や時代を写し出すだけでなく、社会や時代も文学によって動かされていることが実感できると思います。

興味がわいたら~先生おすすめ本

オカルトの惑星 1980年代、もう一つの世界地図

吉田司雄:編著

縄文の「遮光器土偶」は、宇宙人がモデルという珍説を聞いたことはありませんか。例えば手塚治虫は、これを最初に主張したUFO団体の理事で、『ブラック・ジャック』の一話に遮光器土偶そっくりの宇宙人を登場させています。こうした宇宙人や超古代史などオカルトは、現代人のおごりを警告する物語として、19世紀に欧米で流行して以来、ずっと世界で書かれ続けています(映画『天空の城ラピュタ』はその直系です)。本書は、1980年代に流行した日本のオカルトから、物語や作品が豊富に生み出されたことを指摘していて、私も遮光器土偶=宇宙人説がどのように広まったかを書いています。 (青弓社)


欧州航路の文化誌 寄港地を読み解く

橋本順光、鈴木禎宏:編著

戦前まで日本からヨーロッパへ行くためには、船で何週間もかけて欧州航路を進むのが普通でした。それは洋行と呼ばれ、中国からインド洋を経て、地中海に入り、大西洋を渡ってアメリカから帰国するという、世界一周旅行でもありました。寄港地の多くはイギリス領だったので、英語と経済の力を見せつけられることにもなります。留学がグローバルな人間になるための条件とされたのは、ここから始まったのです。苦労した漱石、楽しんだ鴎外、あえて行かずに洋行客の嘘と見栄を皮肉った太宰。欧州航路に翻弄された日本の洋行客と、彼らを上得意にもしていた現地の人々との交錯をたどります。 (青弓社)


異文化理解の倫理にむけて

稲賀繁美:編

なんとなくわかったつもりの異文化理解の常識と前提を、心地よく壊してくれる名著。本文に絶妙につっこむ注を読むだけでも目から鱗が落ちることが多く、この注も異文化理解の倫理の一環なことが気づきます。編者による大著『絵画の黄昏』『絵画の東方』『絵画の臨界』にもぜひ挑戦してみてください。絵画や文学の常識を自在に越境する面白さが味わえます。膨大な知識と鋭い分析が相乗する本文はどこをとっても刺激的なので、索引を見ながら拾い読みしてもいいでしょう。無数の注釈も独立した小文になっていて、新たな世界への扉のように様々なヒントを与えてくれるはずです。 (名古屋大学出版会)


シャーロック・ホームズ

コナン・ドイル

シャーロック・ホームの翻訳はたくさんありますが、ちくま文庫の詳注版がおすすめです。一つの単語や矛盾をめぐるマニアックな蘊蓄につきあうのは少しうっとうしいかもしれませんが、そんな長い注を読んでいるうちに、作者の意図から距離を置いて作品を深読みするのが面白くなってくるはずです。「相同」と「相似」を初めて区別した解剖学者のリチャード・オーウェンが、ホームズの推理と深い関係があることも指摘されています。小説が意外なところで社会とつながり、無数の作品と結びついていることは、古典だからこそよく見えますし、そういう作品こそ古典と呼ばれることがよくわかります。 (小池滋:訳 /ちくま文庫)


バクマン。

小畑健:著、大場つぐみ:原作

マンガ家マンガは、芸術家が主人公の小説やその変種である太宰治の『人間失格』(主人公はマンガ家)から多くを受け継いできました。ただし『バクマン。』の主人公は、少しも芸術家肌でないのが画期的です。これはドストエフスキーの『罪と罰』をマンガ化した手塚と、たぶん『罪と罰』を読まずに、しかし実は主題が共通する『デスノート』を描いた二人の間にあるマンガの歴史と深い関係があります。関心があれば拙稿「「芸術家マンガ」試論: マンガの自意識と芸術家像の変容」を読んでください。山口つばさの『ブルーピリオド』が、実は古典的な芸術家小説の直系なこともよくわかるはずです。 (ジャンプコミックス)


本コーナーは、中高生と、大学での学問・研究活動との間の橋渡しになれるよう、経済産業省の大学・産学連携、および内閣府/科学技術・イノベーション推進事務局の調査事業の成果を利用し、学校法人河合塾により、企画・制作・運営されています。

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