第3回 最初はさんざん批判された論文が、『Nature』に即掲載! 石油に代わるエネルギーとしても注目を集める
大学院時代、菊池真一先生の研究室ではどんな研究をされていたのでしょうか。
「写真化学では、写真がどのように写るのか、どうやってフィルムを現像したら色が出せるのか、ということを研究します。写真は当然光に感応するものですから、水中にあるものに光を当てたらどうなるかということをいろいろな材料や反応で試す、という研究が始まっていました。また、アメリカやドイツではコンピュータの基板材料としてシリコンなども出てきていました。
私の研究課題は、様々な材料を水の中に入れて光を当て、光に感応しやすい材料を探す、ということでした。私を指導してくださっていた菊池研究室の本多健一先生は、当時パリ大学に留学していて、白金を電極にすると光ベクレル効果が得られることを突き止めていましたが、それまでの研究ではゲルマニウムやシリコンはみんな水に溶けてしまって、材料としては使い物にならないので、安定して光感応性の高いものを探す、というテーマをくださっていたのです」
酸化チタンを材料にしたのはどんなきっかけだったのですか。
「ちょうどその頃、隣の研究室ではコピーの実用化のための研究をしていました。コピーも光を使いますから、同じような研究テーマを扱っていたのです。その研究室の先輩で、現在埼玉大学名誉教授の飯田武揚先生から酸化チタンの単結晶のことを聞いて、製造元の神戸のベンチャー企業に手紙を書いて直接頼み、手に入れました。酸化チタン単結晶はとても加工が難しいので、当時東大に1台しかなかったダイヤモンドカッターを使って電極に加工して実験に臨みました。そうしたら、ブクブクガスが出てくるのです。調べてみたら、酸化チタン側から出ていたのは酸素、白金側からは水素でした。これが1967年2月のことでした」
初めて水の光分解ができたのを見た時、どう思われましたか。
「それはもう、感動しましたよ。だって、植物がやっている光合成、つまり葉っぱの表面に太陽の光が当たると、葉緑素が水を分解して酸素を出すというのを、葉緑素の代わりに酸化チタンがやっているのですから。本当に嬉しくて夜も眠れませんでした」
でも、学界では最初は「そんなことはあり得ない」という反応だったそうですね。
「『水を分解するためには1.23ボルト以上の電圧をかけることが必要』という理論値があって、皆がいかにその理論値に近づけるか、ということに夢中になっていた時に、『電圧なんていらない、光を当てるだけでいい』と言ったわけですから、もうたいへんでした。学問的に考えられた理論があるのに、理論以上のことができるなんて、何かの間違いだろう、と。太陽電池という概念もない時代でしたから、光がエネルギーになるということも考えられなかったのです。ですから、日本の学会で発表しても反論の嵐で、全く信用してもらえませんでした。博士論文も、『引き続き検証実験を行う』ことを条件に、ようやく通していただいたくらいでしたから。でも、研究室の先輩方は『お前は正しい、頑張れ』と励ましてくれました」
それが1972年に『Nature』に投稿した論文は即掲載になったのですよね。
「そうです。本多先生と共著で投稿したら、一発で掲載が決まりました。『Nature』は世界中から優れた論文が集まるので、レフェリーも非常に厳しく、投稿しても採用されなかったり、仮に採用されても修正や反論のコメントを大量につけて返されたりするのが当たり前です。でも、この時は修正ナシで、すぐ掲載ということになったので、校正をする時間もないくらいで、図の説明が間に合わなくて詳しい説明ナシで載ってしまいました。この論文は今でも世界中の人が引用してくださっています」
そして、日本国内でも大きな注目を集めることになりました。
「はい。ようやく学界も納得してくれました。そして大きな転機になったのが1973年の第一次オイルショックです。石油価格が高騰して、石油に代わるエネルギーとして、太陽光や熱のエネルギーに世界中から注目が集まった時、『光触媒を使えば、太陽光を使って水からクリーンエネルギーである水素が取れるだろう』ということで、基礎研究だった光触媒にエネルギー問題解決の切り札としての期待が高まりました。さらに、1974年の元日の朝日新聞の1面トップでこのことが取り上げられたこともあり、一気に社会的にも注目されることになりました」
藤嶋先生:「科学史に名前を残すような研究者が自分で書いた本を読んでみてください。文章もたいへんすばらしく、その研究の偉大さもわかると思います」
星界の報告
ガリレオ・ガリレイ(岩波文庫)
藤嶋先生:1610年1月7日から3月2日までのほぼ毎夜、ガリレオは自分で作った30倍の望遠鏡で月面、銀河、さらにそれまで未知の惑星だった木星の観測をしました。この観測で月にクレーターがあること、木星には4つの衛星があることを発見したのです。この観察記録をガリレオ自身がまとめてフィレンツェのメディチ家に送った報告書がこれです。本当にすばらしい内容で、感動しました。
光学
アイザック・ニュートン(岩波文庫)
藤嶋先生:ニュートンが生まれたのはガリレオ・ガリレイが亡くなった1642年。不思議な巡り合わせです。太陽の光が赤から紫まで分光できることを実験で明らかにしたのは彼が22才の時。ちなみに彼は、20代でケンブリッジ大学の教授を務めています。ニュートンと言えば力学ですが、光学の分野でも光の屈折・干渉・回折などの現象を幾何学的に証明しています。読み物としても圧倒的に面白いです。
ロウソクの科学
マイケル・ファラデー(岩波文庫)
ファラデーの生涯
ハリー・スーチン(東京図書)
藤嶋先生:ファラデーは私がいちばん尊敬する研究者です。ファラデーは小学校しか出ていませんが、イギリスの王立研究所のハンフリー・デービーが電気分解の公開実験をした時、一番前で熱心に記録を取っていた姿に感心したデービーによって実験助手に招かれ、19世紀最大の科学者と呼ばれるような業績を残しました。この『ファラデーの生涯』は、大学生の時に読んでいちばん感動した本です。もう絶版になっていますが、図書館などでぜひ読んでください。
『ロウソクの科学』は、ファラデーが定年を迎えた1861年のクリスマス休暇の6日間に、少年少女を王立研究所に招いて行ったやさしい実験と講義の記録です。私は後にこの6日間の実験を全て再現してみて、改めて感動しました。ぜひこちらも読んでみてください。
二重らせん
ジェームス・D・ワトソン(講談社文庫)
藤嶋先生:DNAの二重らせんを発見し、ノーベル賞を受賞した著者が、発見に至るまでの過程を描いたものです。バイオ専攻の学生でなくても、一度は読んでおくとよいでしょう。研究の裏にある競争のなまなましさもわかります。