教科教育学

なぜ数学は難しいのか?~数学学習のからくりを解明する数学教育学


宮川健 先生

早稲田大学 教育学部 数学科/教育学研究科 数学教育専攻

どんなことを研究していますか?

数学を教えることや学ぶこと(数学教育)は、数学が世の中に生まれてからずっと行なわれてきました。4000年前の古代メソポタミアでの数学教育の記録が今日も残っています。一方、数学を苦手とする人は古今東西たくさんおり、日本に限らず世界中で問題となっています。4000年前から教師はいかに教えるのかということを考えてきたのにもかかわらず、この問題はいまだに解決されていないのです。

そこで、いかに教えるのかを考えるのではなく、まずは、数学を教えることや学ぶことの仕組み(からくり・メカニズム)を明らかにしようとする“数学教育学”(数学教育についての“学”)の研究分野が、1970年頃から世界的に始まりました。この研究は、「なぜ数学は難しいのか」、「なぜある生徒は教師の問いに○○と答えるのか、なぜ××ではないのか」といった、数学の学習や授業の仕組みを理解することを目的とします。

こうした研究の話をすると、「心理学のように生徒の頭の中を研究しているのですか」と聞かれることがあります。「なぜ数学が難しいのか」のような問いに対するアプローチの方法はいろいろあります。私の場合は、心理学とは異なり、数学がそもそもどのようなものか、数学を様々な側面から理解することを通して、この問いに答えようとします。この研究のためには、大学で勉強する数学をはじめ、数学の歴史、数理哲学(数学とは何かいかに発展するのかを検討する学問)など、数学に関わる様々な学問を勉強する必要があります。私にとっての数学教育学は、数学の応用分野のような位置づけなのです。高校数学の場合を使って、私の研究を簡単に説明しましょう。

高校の数学が難しい理由の一つ

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数学は皆さんにとってどのようなものでしょうか。もしかすると、暗記や計算が中心で、天才的なひらめきが必要なもの、もうできあがってしまった学問、などと思っている人もいるかもしれません。こうした見方は、少し偏ったものです。数学がどのようにできあがってきたのか、その歴史や数学者の営みを見てみると、数学は長い時間をかけて人間が少しずつ作ってきたものであることがわかります。ある数学の概念(例えば、面積、関数、微分など)ができあがる過程には、何かしらの問題や課題が存在し、それを解決するために新たなアイデアが提案され、試行錯誤を重ね少しずつ数学概念がきれいな形に整理されてきました。数学は、ひとりの天才数学者がパッと作り上げたのではなく、多くの数学者が何十年も何百年もかけて、少しずつ作り上げてきたものなのです。

ところが、できあがった数学を見ると、数学が生まれるに至った様々な理由や失敗の足跡が消し去られ、人間的なものが感じられません(専門的には、この過程は「脱文脈化」や「脱人間化」と呼ばれます)。例えば、三角比のsinは、なぜ「正弦」と呼ばれるのでしょうか。なぜ「高さ/斜辺」であり、なぜ逆の「斜辺/高さ」ではないのでしょうか。三角比が作り上げられる過程にはきちんと理由がありました。しかし、三角比の概念が整理されるにつれてそうしたものは消えてしまったのです。実際、教科書にも上の三角比の問いに対する回答は書かれていません。

皆さんが高校で勉強する数学は、このような「脱文脈化」されてできあがった数学なのです。本来あった文脈や理由を知ることなしに、無機質なものを勉強するのは大変です。なぜ何のためにこのように考えるのかといった理由を知らなければ、暗記に走ることになってしまいます。これが、高校数学が難しい理由の一つです(大学数学ではこの理由がさらに顕著になります)。こうした難しさに対処するためには、本来は、授業の中で何かしらの文脈を取り込み、ある活動に取り組む中で学ぶべき内容が発生してくるような工夫が必要です(「再文脈化」と呼ばれます)。しかし、高校では時間的な理由などからそうせず、できあがった数学をただ説明し、それを用いて問題を解けるようにすることに重きが置かれがちです。そのため、数学が難しいのみならず、数学をなぜ勉強するのかわからないと感じる生徒も多く生じてしまうのです。

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ゼミの様子

学生はどんなところに就職?

一般的な傾向は?
  • ●主な職種は→中学校数学教員、高等学校数学教員。教育系の一般企業に就職する人もいます。
分野はどう活かされる?

数学教育学は、数学教師になれば大いに活かされることでしょう。

先生から、ひとこと

数学教育学についての本格的な研究は、多くの場合、大学院から始まります。学部では、数学をしっかりと深くそして幅広く勉強すること、教職課程や教育実習などで数学教育がどのようになされているのか、実践的なことを勉強することが重要になります。また、数学関連の小説や映画を読んだり観たりすると、日頃見ることのない数学の別の側面を知れたりしますので、オススメです。

先生の学部・学科はどんなとこ

早稲田大学教育学部数学科は、開放性の教育学部(教員免許取得が必須ではない教育学部)で、学ぶ内容は理学部数学科に近いです。数学をしっかり勉強するには大変良い環境だと思います。

先生の研究に挑戦しよう

数学教育学の研究は、数学を広く深く理解することが第一です。そのため、数学で出会うものについて「○○とはそもそも何か」という問いが最初の基本的な問いになります。具体的には、上でも出てきた「三角比とは何か?なぜそのようなかたちなのか?」といった問い、証明の学習(私がこれまで研究してきました)に関したものであれば「証明とは何か?何をもって証明をしたというのか?」といった問いです。関心のある方は取り組んでみてください。こうした問いに対する答えが見えてくると、数学学習の難しさのみならず、教える時のアイデアも出てきます。

興味がわいたら~先生おすすめ本

数字であそぼ。

絹田村子

理学部数学科でよくありそうなエピソードが満載のマンガです。数学がどのような学問なのかよくわかります。高校まで数学を勉強してきて、数学が暗記や計算の学問だと思っている方には、是非読んで欲しいです。 (フラワーコミックスアルファ)


天地明察

冲方丁

安井算哲(渋川春海)という江戸時代に実在した和算家・暦学者の生涯を描いた時代小説です。映画にもなっています。江戸時代の数学(和算)が垣間見られます。ここから発展させて、算木、算盤、算額など和算について深めると、日本人にとっての数学がどのようなものであったのかが見えてきそうです。 (角川書店)


定理が生まれる 天才数学者の思索と生活

セドリック・ヴィラーニ

数学のノーベル賞とも呼ばれるフィールズ賞を受賞した、フランスの数学者の自伝的なエッセイです。数学の内容は専門的で難しいので理解する必要はありませんが、数学が日々の試行錯誤や葛藤、仲間との協力などから生まれてくる大変人間的なものであることがわかります。著者のヴィラーニ氏は、数学の社会での普及にも努めており、その講演には定評があります。 (池田思朗、松永りえ:訳/早川書房)


本コーナーは、中高生と、大学での学問・研究活動との間の橋渡しになれるよう、経済産業省の大学・産学連携、および内閣府/科学技術・イノベーション推進事務局の調査事業の成果を利用し、学校法人河合塾により、企画・制作・運営されています。