日本の植民地時代の台湾人哲学者に光を当てる
人形劇『三国志』から生まれた中国への関心
中国に興味を持ったのは、小学生時代、NHKで放映されていた人形劇『三国志』にハマったのがきっかけです。中学に入ると、原文で『三国志』が読めたら良いなと、テレビやラジオの中国語講座を視聴していました。それが今では、仕事上の糧となっています。
大学に入って、中国哲学の研究を仕事とすることになるのですが、若い頃は、自分にしかできないことは何だろう、あるいは自分が使命としてやらなければならないことは何だろう、と考えていました。日本人である私が中国の研究をするということは、どこかで15年戦争の問題とも関わってくるという意識も持っていました。
植民地時代、日本語で思索した台湾人学者
現在のテーマとの出会いは、5年ほど前に台湾の友人から教えてもらった情報でした。今、台湾では「台湾哲学」のルーツ探しとして、日本の植民地時代の台湾人学者の研究が盛んになりつつある、と聞いたのです。
日本で教育を受け、日本語で哲学書・哲学論文を書いた台湾人がいたのです。驚きでした。当時の私にとっても、完全にこれこそ自分にしかできないこと、自分の使命の一つだという直観が働きました。
日本のいわゆる「京都学派」に連なる哲学者、中国の現代新儒家と呼ばれる人たち、それぞれの研究は山のようにありますが、そこに、台湾、あるいは朝鮮半島出身で、日本語で思索をした人たちを合わせて考えると、違った光景が見えてくるのではないか、そうした見通しのもと研究を進めています。
そもそも平和とは何か、公正とは何かを考えるのが哲学です。哲学は、平和を追求する運動に疑問を呈することだってありえます。でもそうした疑問を呈することで平和への追求がより深まるのだとすれば、それは貢献と言えるかもしれません。
植民地出身で宗主国の日本で哲学を学んだ若者たち、日本による植民地化に抵抗した思想家たち、日本の植民地支配を批判できなかった日本の哲学者たち、彼らの屈折や苦渋を知ることは、平和や公正について考え直すきっかけになるでしょう。
「戦前東アジアにおける哲学:日本の植民地支配の観点から」
上原麻有子
京都大学 文学部 思想文化学専攻 日本哲学史専修/文学研究科 思想文化学専攻
【近代以降の日本の哲学、とりわけ京都学派の哲学の再検討】外国語からの視点を採り入れて日本の哲学を検討しなおし、外国語でも日本哲学を発信しています。
石井剛
東京大学 教養学部/総合文化研究科 地域文化研究専攻
【近代中国の思想家】近代中国の問題を扱うにあたって、中国古典の世界にも遡り、現代中国の問題にも関心を寄せつつ、問いを切り開いています。
明治大学文学部の哲学専攻は2018年4月に発足した新しい専攻です。哲学という古くからある学問を新しい専攻として立ち上げるにあたり、西洋哲学中心ではなく、日本を含めアジアの哲学もともに学ぶこと、予備知識を前提とせず対話で哲学的議論をすすめる哲学プラクティスをカリキュラムとして採り入れたこと、これが二大特徴です。アジアの哲学への注目、哲学プラクティスなどの流行は世界的な潮流です。
Q1.18歳に戻って大学に入るなら何を学ぶ? 西洋古典学。ギリシア語に取り組もうとして挫折したので。 |
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Q2.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? フランス。在外研究で暮らしていました。もう一度暮らしてみたい。 |
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Q3.感動した映画は?印象に残っている映画は? 『紅いコーリャン』(張芸謀監督) |