第3回 リスクに備える ~社会でどこまで助け合うか
「保険」という存在
では、被害者を救済する手段は、他にないのでしょうか。
そのリスクが多くの人に起こり得る可能性があるならば、たとえば、「保険」という制度が、損害賠償の代わりとなるかもしれません。
みなさんも、「生命保険」、「傷害保険」、「火災保険」といったものを聞いたことがあると思います。そもそも保険とは、私たちが生活していくうえで、ある程度の確率で起こりうる大きなリスクを多くの人たちが共有している場合に、その人たちがお金を出し合って共同の資金備蓄を行い、もしその少ない確率の事故にあってしまった人がいた場合には、その備蓄から支払いを受けるという形で不測の事態に備える制度のことを意味します。
被害者であっても、加害者であっても、保険に入っていれば、そこから賠償金が支払われる可能性があるのです。
なお、学校事故の場合には、特に、独立行政法人日本スポーツ振興センターが行っている「災害共済給付制度」などが重要な役割を担っています(「共済」と「保険」は異なる制度ですが、機能は類似しています)。それによれば、児童生徒等が事故にあって負傷し、5000円以上の医療費がかかった場合には、医療給付を受けることができます。同センターの報告書によれば、2016年度の学校災害(負傷・疾病)の発生件数は108万8487件(発生率:6.47%)、死亡見舞金51件、障害見舞金409件となっています。
助け合いの社会へ
さらに、私たち全体が抱えるリスクであるのならば、リスクが発生した時に備えて、社会全体でそれをプールし、そこから顕在化したリスクの回復を図るといった発想はどうでしょうか。実は、このような仕組みは、私たちの社会の中にたくさんあります。たとえば、労災に対する保障制度、公害による健康被害に対する補償制度、医薬品の副作用被害に関する救済制度などがあります。また、犯罪によって生命・身体に被害が及んだ場合、その被害者を補償する制度もあります。さらに、貧困に対する失業保険、病気に対する健康保険、老齢に対する年金など、様々な場面で用いられている各種保険や課税制度も、そのような文脈で理解することができるでしょう。生活保護給付のような貧困者の最低限度の生活保障、児童手当や遺族援護などの社会保障制度などもあります。これらは、広い意味では、「リスクが生じたら、みんなで助け合いましょう」という精神から成り立っている、相互扶助の社会のための制度としての側面を持っているということができます。
ただ、このように「みんなで助け合う」という制度を維持するためには、構成員が、それぞれ、プールする財産(お金)を出し合わなければなりません。もし、国(または、地方公共団体)全体で制度構築をしようとすれば、それは「税金」ということになります。拠出金が高ければ、抵抗感を持つ人も少なくないでしょう。では、どこからが自己責任なのでしょうか? どのような場面であれば、みんなで助け合うこと(そして、そのために相応の負担をすること)が許容されるのでしょうか? どのような広がり(任意か強制か。特定のグループレベルか自治体や国レベルか)で助け合うのが妥当でしょうか。難しい政策論です。
つづく
第4回 社会にとって「あるべきルール」を探求する~法学とは何だろう
<前回を読む>
第2回 親や学校は責任を負うのか