第4回 近代俳句研究はレア。愛媛大は俳句研究には格好の場
ニッチだからこそのアドバンテージもある近代俳句研究
佐藤さん:散文(小説など)に比べて、韻文(詩・短歌・俳句)は研究者が圧倒的に少ないようですが、大変なことってありますか。また、俳句を研究する上で、何が一番大事ですか。
青木先生:例えば夏目漱石の小説研究は、力ある学者が集って競争しあっているので研究論文の質が高く、それに多様なアプローチがかなり試みられているので、研究の層が厚いんですよね。そこに新人が割りこみ、いい論文を書くのは相当な力がないと難しい。ところが、近代俳句研究はほぼされていません。研究業界で「近代俳句が専門です」と自己紹介すると「何で小説じゃなくて俳句を選んだの?」と真顔で聞き返されるほどレアなんです(笑)。だから、漱石と関わりの深かった正岡子規研究ならともかく、他の俳人研究であれば、小説研究の方々からは研究自体が評価されにくいというデメリットがあります。あまりにニッチすぎるんですよね。そこは大変かもしれない。
同時に、研究がさほど進んでいないということは、自分のちょっとした発見や解釈がそのまま「大発見」「新意見」となり、研究論文としては価値の高いものになる可能性がある。今まで誰もしてこなかったから価値があるというより、漱石や子規といった有名文学者の作品を俳句研究という見地から捉え直すと、これまで小説研究の角度から論じたものと異なる解釈や意味を掘り当てることができますし、近代文学史の埋もれた側面や特徴等を指摘できる可能性がある、という感じでしょうか。ニッチであることのマイナスもあれば、だからこそアドバンテージがある、という立ち位置ですね。
研究論文を書く上で大切に感じるのは、作品の「読み」です。学校や受験のテストのように、すでに用意された一つの回答を探すというのでなく、作品の面白さや可能性を最大限に引き出せるにはどのように読めばいいのか、そのための問いや正解自体を自分で定め、検証していくという意味での「読み」ですね。
もちろん、研究者として論文を書くためには、客観的な証拠となる資料を集め、読みこみます。そもそもどういった資料を集めればよいかというセンスも必要ですし、資料の読み解き方も大事ではありますが、それもこれも全ては、目の前の作品を「読む」ための準備です。研究論文以外に評論やエッセイの連載等を定期的に書かせてもらっていますが、全てに共通するのは作品の「読み」の確かさであって、それが一番難しく、緊張しますね。
俳句の「読み」はかなり特殊で、わずか17文字を手がかりに言外の意味や雰囲気を捉え、作品の世界観を解釈するのは職人芸に近い難しさなので、日々試行錯誤を続けています。その点、研究論文の世界もさることながら、俳句実作者の方々の選評や評論といった、「作り手」の感覚がうかがえる文章にとても関心があります。
僕が研究者としてとてもラッキーだった点はいくつもあるのですが、一つは連載評論やエッセイを書かせてもらえる場をいただけたことです。小説研究と異なり、俳句研究は実作と研究の間が近くて、大学院時代に俳句実作者の方々と知り合う機会があり、そのときに結社主宰の方が「うちの雑誌で何か書かない?」と気軽に声をかけてくれたんです。全く無名の大学院生だった僕に声をかけてくれるなんて、本当に有難かったですね。
評論やエッセイは、論文とは文体も進め方も全く違うんです。エッセイは随筆なのだから軽く書けば簡単にできると感じる方もおられますが、「読者にしっかりと『軽い読みもの』と感じさせながら面白く読んでもらう」というのは、実はかなりの文章力が必要なんですよ。評論も同じで、論文やエッセイと違うアプローチが求められます。研究論文と違う書き方をしなければいけないという時に、学生時代に暇にあかせて浸っていた趣味の世界を活かそうと思い、アニメやクラシック、写真や小説等々の俳句以外のジャンルとつなげて評論やエッセイをまとめるようになりました。
その点でも僕はとてもラッキーだったと思います。中・高・大学生の時は将来に投資するつもりでロックや映画、絵画などに触れたわけでは全くなかったのですが、今、その時の趣味がエッセイ執筆や授業等に全部活きている。自分のやりたいことを仕事にできた上に、趣味を仕事に関連させることができるのは本当に恵まれていると感じます。
松山は正岡子規や高浜虚子が生まれ育った街
佐藤さん:なるほど。そして青木先生は関西から愛媛大学にいらっしゃいましたね。俳句研究をめぐる環境で、愛媛のいいところ、ラッキーなところってありますか。
青木先生:いくつもありますが、例えば俳句甲子園に参加できることでしょうか。地方・全国大会ともに大学から近くの大街道商店街で行っているので、直に触れる機会があるのが嬉しい。
それに松山は正岡子規や高浜虚子が生まれ育った街なので、彼らが日々歩いたであろう道筋や土地が現在もそれなりに残っています。例えば、子規が漱石と散歩しながら句を作った『散策集』のルートは今もほぼ変わっていません。そういう道を『散策集』片手に文学散歩をしたり、子規の生まれた家の場所と河東碧梧桐の生まれた家近辺を比較したりするというマニアックな楽しみ方は、研究者としてたまらない(笑)。実際に松山を歩くと、碧梧桐の家は子規よりはるかに良い土地にあったことがすぐわりますし、他にも子規たちが東京や関西に赴く際に船に乗った三津浜という町や、虚子が幼少時に過ごした北条という町も、実際に歩いてみると土地の雰囲気がそれぞれ違っていることに気付きます。それぞれ町の微妙な違いや表情を感じつつ、脳内妄想をふくらませながら子規たちの生活の追体験をするのは松山に住まないとできないことなので、そこが楽しいですね。
資料などでいえば、愛媛大学や愛媛県立図書館は俳句雑誌『ホトトギス』の明治から平成時代を揃いで所蔵していて、これはすごい。『ホトトギス』をほぼ全巻所蔵している図書館は全国的に少ないんです。それに、県立図書館の俳句コーナーには、他の街の図書館では所蔵もしていない俳句雑誌や個人句集を開架で閲覧できるので、本当にありがたい。そして、子規記念博物館には子規の自筆資料や碧梧桐、虚子らの自筆ものが大量に所蔵されているので、それらを展覧会で気軽に拝観できるという贅沢は、松山でなければ味わえないでしょう。
つづく
第5回 先生の研究と研究室 一問一答
<前回を読む>
第3回 卒論は村上春樹。しかし、大学院では正岡子規へ