第3回 画期的な抗がん薬開発に挑むケミカルバイオロジー
~がん細胞への栄養供給ルートを断つ戦法
私たちは、異分野の人に研究分野のことを尋ねられたとき「“ものとり”を基盤とした“ケミカルバイオロジー研究”です」と答えることにしています。すると相手は必ず「えっ、“ものとり”って何ですか?“ケミカルバイオロジー”ってなんですか?」と不思議そうに聞き返してくれます。
“ものとり”というのは天然資源由来の化合物のスクリーニング研究のことを意味します。上述の通り、例えば、微生物由来の医薬品には、ストレプトマイシンのように人類に多大な貢献をした有名な薬があります。
それでは、ケミカルバイオロジーとはなんでしょう。ケミカルバイオロジーは、化学を基盤として生命科学の謎の解明を目指す、化学と生物学の学問を融合した領域(学際融合領域)研究で、基礎科学・応用科学、さらには創薬に大いに貢献可能です。
がん細胞退治の難しさは、低酸素環境での生存と薬剤耐性
ところで、現在使用されている抗がん剤の問題点は何でしょうか。1つは、臓器のがんに代表される固形腫瘍を標的とした抗がん剤の開発がまだまだ遅れていることです。固形腫瘍は投薬よりも、まず外科手術をして治療するという流れが一般的なのです。もう1つは最初に投与した抗がん剤が投与を続けていくうちに、効かなくなってしまうこと、すなわち、がん細胞が耐性を獲得してしまうという問題です。薬の開発と薬剤耐性は、人類史上、ずっとイタチゴッコなのです。
固形腫瘍の内部は酸素濃度が低い、いわゆる低酸素環境であり、様々な悪性因子が放出されて、がんの悪性化が維持されています。私たちは、このがんに特徴的な低酸素応答を克服する革新的な抗がん剤の開発を目指しています。最近、放線菌が作るベルコペプチンという化合物を見出しました。現在、ケミカルバイオロジー的な方法論などを駆使して、ベルコペプチンの抗がん剤としての可能性を追求しています。
もう1つは薬剤耐性問題の克服です。近年、がん細胞そのものではなく、がん細胞に栄養を供給する周囲の新生血管を薬で叩く化学療法が成功しつつあります。がんの栄養ルートとなる新生血管を兵糧攻めの如く断ち、がんが戦略的に持っている耐性獲得を回避する、いわゆる“血管新生阻害療法”です。私たちも、糸状菌が作る薬効ある化合物を見出し、興味深い作用メカニズムを明らかにしています。
このようにケミカルバイオロジーは、化学を基盤とした新しい創薬研究に大いに役立つのです。
追記:
皆さんご存知の通り、2015年10月にうれしいニュースがスウエーデンから飛び込んできました。そうです、ノーベル医学・生理学賞に天然物化学/創薬化学(ケミカルバイオロジー)の研究分野から、大村智博士、ウィリアム・キャンベル博士、トウ・ヨウヨウ博士が受賞されました。今後も、天然物化学/創薬化学やケミカルバイオロジーに関連する多くの先生方の受賞が期待されています。
おわり
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