第3回:歴史上試みられてきた政治制度と、民主制の限界
今回は政治制度、すなわち、政治という配分行為を行う仕組みについてお話ししましょう。政治制度は1つではなく、人類史上、さまざまな政治制度が試されてきました。
例えば君主制は、皇帝や王様が絶対的な権力を持つ政治制度です。少数の貴族が支配する貴族制、軍事力を持った騎士や武士といった身分の人々が力を持っている封建制もあります。
現在の日本では、民主制(民主主義による政治制度)が採用されています。民主制の語源はギリシャ語のデモスクラトスです。デモスとはpeople、すなわち人々のことで、クラトスとはpowerのことです。つまり普通の人々に権力が分散している状態を言います。これがデモクラシーです。
民主制は現在多くの国で採用されているので、良い制度だと思われるかもしれません。しかし、ドイツのナチス総統のヒトラーも選挙で選ばれました。つまり、民主制だからといって正解が導き出されるわけではなく、大勢の人が愚かだったら愚かな結果になることがあり得ます。よって、民主制は「ほかの体制より大勢の人が意思決定に関われる政治体制」であることを意味しているにすぎません。この点はしっかり覚えておいてください。
民主制で政治に参加するのは市民ですが、市民の英語はcitizenで、cityから来ています。cityとは自分たちが住んでいる町やエリア、昔でいう国家の単位です。ですから市民とは、その人が所属している共同体を支える人を指します。
紀元前のギリシャには、アテナイをはじめとする多数の都市国家(ポリス)がありました。そして都市国家では、市民が直接政治に関して意思決定をする直接民主制が行われていました。
しかし、このときの市民は、限定された人々でした。当時、戦争に勝った都市国家は負けた都市国家の人々を奴隷にすることがありましたが、この奴隷は市民ではありません。また、女性と子どもも市民ではありません。なぜかというと、市民というのは武器を持って、自分たちの公共財を守るために戦う人を意味し、戦わない人は市民ではないという、権利と義務がセットになった制度であったためです。こうした直接民主制を続けるのは難しく、直接民主制が大規模に行われたことは、歴史上あまりありませんでした。
その後、17世紀や18世紀になってイギリスの清教徒革命や名誉革命、フランス革命などの市民革命が起こって普通の人々がパワーを持ち、その後ようやく、市民が代表者を選挙で選んで政治を委ねるという、間接民主制が登場しました。
つづく
第4回:政治学の分野〜政治理論から、実際の政治の研究まで〜
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第2回:権力をふるえる背景となる、権威の正体