第2回 パンクに傾倒した高校時代。大学ではマニアな趣味人に出会う
中学時代は帰宅部、高校時代は軽音楽部
佐藤さん:ご出身は北海道の小樽ということですが、どんな中学校、高校時代を過ごしていらっしゃいましたか。
青木先生:授業や学校生活はごく普通に過ごしていました。ガリ勉でもなく、体育会系で目立つわけでもなかったです。部活は中学3年間は将棋部でした。なぜかというと、学校唯一の100%帰宅部だったから(笑)。学校が終わってからは小説や映画、音楽、マニアックな雑誌を読んだりと、趣味に時間を使っていました。友達とも遊びましたよ。当時はファミコンがすごく流行ったので、学校では不良と言われている人たちと一緒に狭い部屋の中でひたすらファミコンをやったりしていました…まあ、完全インドア派ですね(笑)。
佐藤さん:学校以外の時間が楽しそうですね。
青木先生:高校もあまり活動をしていない軽音楽部でした。年度初めに音楽好きが集まってバンドの真似事をやるのですが、ほぼ帰宅部。その頃はセックス・ピストルズという昔のパンク・バンドが好きで、母親がビートルズ好きというのもあり、洋楽ロックやポップスを家のレコードやラジオなどでよく聞いていました。高校はアルバイトができたので、それでギターを買って、同級生でピストルズを知っている人と一緒にスタジオで演奏したりして、悦に入っていました。
高校は自由な校風で私服だったので、パンクファッションみたいな格好をしていたので、周りからは不良と思われたかもしれませんね。髪も金髪やモスグリーンにしてみましたが…今から振り返ると似合ってなかったですね(笑)。
大学では文学部へ。でも・・・
佐藤さん:全く想像できない……。そして、大学に進まれるわけですが、学部を決めたきっかけは?
青木先生:歴史や文学が好きだったので、文学部を選びました。特に小説などの文学が好きだったので、深く考えずに文学をもっと学問的に深く読んでみたいという理由で国文科に行きました。今から考えると、両親はよく許してくれたなあと思いますね。
佐藤さん:大学では真面目な学生でしたか。
青木先生:全然ダメ。授業に行かずに単位を落とし、留年しました(笑)。好きな小説の授業には行ったんですが、それ以外の時間はほぼ自分の趣味につぎこんでしまった。東京や関西の大学は各地から人が集まるので、マニアな趣味人に出会える確率が高い。そういうコアな仲間が集まると、話題が完全にディープな趣味の話ばかりになり、それが世界の全てになる。「この前出た『FFS(ファイブスターストーリー)』最新刊、すごいな」「確かに…そういえば、エイフェックス・ツイン(Aphex Twin)の新譜もすごいぞ」といった感じで、もう普通の人とは話ができない(笑)。その点では趣味に磨きがかかったと言えますね。
大学でもバンドサークルに入りましたが、音痴なのでボーカルはダメ、リズム感もないのでドラムもベースもダメ。一番浮ついたところでやれるギターしかできないなあ…ということで、高校の時からしていたギターを引き続きやりました。
佐藤さん:消去法でギターやる人はじめて聞きました(笑)。
青木先生:そのギターも合ってなかったんですけどね(笑)。結局、最後はギターを置いて俳句研究の方に……。
佐藤さん:ロックだ(笑)。