第6回 ホームランを打つには(4)
「周辺視システム」で無意識に情報を収集せよ
視覚は重要ですが、視覚に頼りすぎると、パフォーマンスを低下させてしまうことがあります。例えば、ピアノが上手な人は、ものすごい速さで指を動かしていますが、自分の指の動きをじっと見てはいませんね。ところが、自分の指を見て弾いてくださいと頼むと、ピアノを弾くというパフォーマンスが低下します。
なぜこんなことが起きるのでしょう。運動制御に関して私たちは、「中心視システム」と「周辺視システム」という2つの視覚システムを使っています。中心視システムとは中心だけを見るもので、意識的に「これはなんだろう?」というようにじっと見るものです。もう一つの周辺視システムは、中心とその周辺を見るもので、私たちが無意識的に見ているときは、このシステムを使っています。こちらは「それはどこにあるの?」ということを教えてくれます。
上級者と初心者で視線の違いを調べた研究があります。初心者はピッチャーに対して、いろいろなところを視線で追っています。中心視を使ってボールを見よう見ようとしています。ところが上級者はそういうことはしません。肘周辺に焦点を合わせて、全体を周辺視で無意識的に見ています。(※)
※この研究は、下記のものです。
「野球の打撃準備時間相における打者の視覚探索ストラテジー」
加藤貴昭、福田忠彦(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科、慶應義塾大学環境情報学部/人間工学 38(6): 333 -340 2002)

剣道でも上級者になると、相手の目を見るといわれています。竹刀を見るのではなく、相手の目を見つつ、周辺視システムを使ってすべての動きを見ているのです。私たちは突然ボールが襲ってきてもさっと避けられます。周辺視システムで情報を得て、物体がどちらの方向からどんな速度で来た、自分にぶつかるまであと何ミリ秒だ、ということを無意識に理解するのです。
この周辺視を使って野球では何ができるかというと、ストレートを待っていてスイングを開始します。しかし、周辺視で気づくわけです。「あれ? ストレートじゃない。ボールが弧を描いている」と。しかも速さもわかります。そうするとホームベース到着まであとどのくらいかもわかり、体が自然に反応して、対応できるわけです。
さて、いままでの「ホームランを打つため」の話をまとめましょう。まずは、一定練習で理想的なスイングプログラムを構築するということが大切。ピッチャーもバッターも後々の修正は難しいからです。そして、多様性練習によりスイングプログラムの対応能力を高めます。これをスキーマ学習といいます。そして、スイング速度を高めれば、正確性も安定性も高まります。さらに、反射・無意識の制御を養います。最後は、周辺視をプログラムの微細な調整に利用します。
スポーツに限らず、日常生活において重要な、立つ、歩くといった基本的な動作においても、運動を科学すると最高のパフォーマンスに近づくための戦略が得られると言えます。
<おわり>

時速250kmのシャトルが見える トップアスリート16人の身体論
佐々木正人(光文社新書)
皆さんも知っているトップアスリートに、心理学者の著者がインタビュー。総勢16人で、全員異なるスポーツを極めた選手たちです。パフォーマンスを極限まで追い求めているトップアスリートが、どのように環境を知覚しているのかを知ることができます。インタビュー形式ですので、テレビで語られるのと同様に平易な内容で読みやすいと思います。
運動を学習する、運動を制御するためには、自分を知覚する、環境を知覚することが重要です。トップアスリートは研ぎ澄まされた知覚能力により、独特の感性で環境を表現しています。彼らが語る言葉の中に、運動を高次に制御するために必要な要素が多く含まれていることと思います。
私たちと同様に、アスリートも運動を学習していくことで、知覚する力や運動を制御する力を獲得しています。その力を究極に高めた彼らの言葉を科学的に捉え、効率的な運動学習や運動制御に関わるヒントを見つけることができれば、そこから導き出される理論を用いることで、パフォーマンスの更なる向上が期待できます。
脳百話―動きの仕組みを解き明かす
松村道一、小田伸午、石原昭彦/編著(市村出版)
運動を科学する上で、脳(神経)は欠かせません。運動に係わる脳の働きが、読みやすい形でまとめられています。興味ある話だけを読んでも構いません。これまでの研究結果から面白い知識を得ることができます。