第1回 どんなボールでも、「投げる」運動プログラムはたった一つ

理学療法士の仕事
足を骨折して歩けなくなったとき、病院でリハビリテーションを受けたことはありませんか。そこで治療をするのが理学療法士です。
例えば、脳卒中という病気は、脳の血管が破裂したり梗塞してしまったりする病気で、中枢神経を損傷し、多くのケースで身体の半分が麻痺して思うように動かなくなります。この場合は、以前のようには歩けません。そこで、新しい歩き方を獲得するために、再学習します。ここでも、理学療法士が、患者さんのゴールに最大限近づけるように機能の向上をはかっていきます。
歩くとか、手を動かすといった、運動を学問的にいうと、運動制御といいます。そして歩くことの学習は、運動学習といいます。運動や動作の専門家である理学療法士になるには、運動学習理論の知識が必要です。
人はどのようにボールを投げるのか ~運動制御理論
最初に運動制御についてお話ししましょう。
野球で、ボールを捕るためには、腕を伸ばさなければいけません。腕を伸ばすためには、肘にある関節が動く必要があり、そのためには、筋(きん)の収縮が必要です。その筋を収縮させるためには、脳からの命令が必要です。脳が脊髄に命令をして筋に伝わり、運動が起きるわけです。
ボールを捕るだけでも、腕を持ち上げる(肩関節屈曲)ための三角筋の収縮、肘を伸ばすための上腕三頭筋の収縮、同時に上腕二頭筋の弛緩、手首を固定するための前腕の伸筋群の収縮、ボールを掴むための前腕の屈筋群の収縮…といったように、多くの命令が必要となります。
このように、昔は一つひとつの命令全てが出されていると考えられていました。
けれども、何十種類という筋が片方の上肢だけでもついているので、それを脳がすべて管理するのは不可能だという考え方が登場し、「運動プログラム理論」が生まれました。もう少しあいまいな枠組みとして「一般化された運動プログラム」というものを考えたわけです。
野球で投げるという運動プログラムを見ると、まず足を上げて体幹が打者の方に回旋することなく腰が前に出ていきます。足が着いて体重が移ると同時に、腰の回旋、体幹の回旋がおこり、そして最後に肩、肘、ボールが出てきます。この一連の動作が投げるという運動プログラムです。

つまり、一つの一般化された「投げる」という運動プログラムを使うことにより、球の重さや、距離・速さ、変化球の回転などのパラメータが変化しても意図したボールを投げる=運動を制御することができるという理論です。
字を書くことも、書字(しょじ)の運動プログラムといえます。仮に利き手の右手を動かす神経がかなり重度に損傷してしまったとします。理学療法士や作業療法士は、左手で字を書く練習をしてもらいます。この再学習に、以前の運動プログラムが利用できます。この人が損傷したのは手という効果器であって、中枢神経はまったく損傷を受けていなければ、今まで学習してきたことは使えるのです。
利き手、非利き手、足、口でペンを加えて字を書いてみてください。どんな書き方でも、自分の利き手で書いた字に似ます。効果器は何であれ、一つの運動プログラムを使うからです。

時速250kmのシャトルが見える トップアスリート16人の身体論
佐々木正人(光文社新書)
皆さんも知っているトップアスリートに、心理学者の著者がインタビュー。総勢16人で、全員異なるスポーツを極めた選手たちです。パフォーマンスを極限まで追い求めているトップアスリートが、どのように環境を知覚しているのかを知ることができます。インタビュー形式ですので、テレビで語られるのと同様に平易な内容で読みやすいと思います。
運動を学習する、運動を制御するためには、自分を知覚する、環境を知覚することが重要です。トップアスリートは研ぎ澄まされた知覚能力により、独特の感性で環境を表現しています。彼らが語る言葉の中に、運動を高次に制御するために必要な要素が多く含まれていることと思います。
私たちと同様に、アスリートも運動を学習していくことで、知覚する力や運動を制御する力を獲得しています。その力を究極に高めた彼らの言葉を科学的に捉え、効率的な運動学習や運動制御に関わるヒントを見つけることができれば、そこから導き出される理論を用いることで、パフォーマンスの更なる向上が期待できます。
脳百話―動きの仕組みを解き明かす
松村道一、小田伸午、石原昭彦/編著(市村出版)
運動を科学する上で、脳(神経)は欠かせません。運動に係わる脳の働きが、読みやすい形でまとめられています。興味ある話だけを読んでも構いません。これまでの研究結果から面白い知識を得ることができます。