第2回 「低炭素社会」は日本が世界に発した概念~80%削減も可能!
私たち地球温暖化問題の研究者は、きわめて具体的なビジョンで、2050年にCO2ゼロ社会をめざしています。そのためには、CO2の排出を少なくなるように知恵を出し合い、汗をかき、これまでただと思っていた安定に気候を維持するためにお金をかけねばならない。
CO2を限りなくゼロ近くまで削減した社会を「低炭素社会」といいます。実は、低炭素社会は日本が世界に発信した概念です。しかしここにいたるまでの道のりは平坦なものではありませんでした。
キミたちの親が中高生だった70年代、CO2を削減できた“奇跡の10年”がありました。1970年原油価格の高騰で始まったオイルショックです。これまで安い石油を前提にして作り上げられた日本の技術・経済システムは大きく揺さぶられましたが、これに対応して日本人が知恵を働かせ開発した省エネ技術や製品は世界に誇るべきもので、少ないエネルギーで経済成長する奇跡を成し遂げたのでした。
ところが80年代以降の世代の人はぜんぜんだめ。ふがいない日本の時代が続きます。省エネ技術開発を怠り、エネルギーなしに成長はないとCO2を排出し、バブル経済を生み出しました。
1997年、CO2削減のための京都議定書で定められた日本の削減目標は、1990年の水準から2008年までに6%削減というものでしたが、こんな低い削減目標すら達成は容易ではなかった。かろうじて達成できたのは、排出量の多い日本の企業がCO2削減目標より排出量の少ないよその国の企業から買った排出権取引の分と、日本の森林のCO2吸収量を6%削減の算定に盛り込んでもらえたおかげです。
この間、日本の企業は、CO2削減のための長期的な見通しを持った技術投資をほとんどしてこなかった。例えば、どの日本の会社も投資の際、原価計算をしますが、2、3年で元が取れるような計算をする。太陽エネルギーのような長期的な展望の要る投資は絶対だめ。目先の利益しか判断しないという風潮がずっとあったわけです。
省エネ指標の国際比較データがありますが、それを見ると、日本の省エネ技術が優れていたのは1981年までで、以後は、ヨーロッパ諸国にもどんどん抜かれています。データ的を見る限り日本はもはや省エネ国家でさえないのです。
日本が世界に向けて「低炭素社会」を発信したのは、2008年、北海道洞爺湖サミットのときが最初です。時の福田首相は同サミットで、2050年に世界のCO2を80%削減という長期目標を打ち出しました。裏話をすると、サミット前、私たち温暖化問題研究者は、議長国として日本の達成すべき目標について相談を受け、80%削減という具体的数字が挙がったという経緯があります。当時、80%削減なんてできっこないと耳を疑った人も多いかと思いますが、私たちにすれば長年IPCCでも検討して算出された数字で、ごく当たり前の科学的成果だったのです。