聴衆の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化
渡辺裕(中公文庫)
私の専門は音楽教育ですが、それだけ(つまりは教科としての音楽だけ)を切り取って考えていけば、「紙の上」の「仮」の計画化したモデルだけは、どんどん良いものができるでしょう。しかし、実際の教育はそれだけで考えることはできません。
渡辺裕氏の著作は、「音楽」を切り口にして、社会文化を考えるものです。例えば私たちが「伝統音楽」と思っているものが、作られた当時は全然違っていたこと、クラシック音楽は最初から「静かに聴く」ものではなかったことなど。「音楽」とはこういうものだという自分の見方が、実は社会の中で後から作られたものなのだということに、気づかされます。
最初から「正しい姿」の音楽があるのではなくて、社会文化の中で人々によって作られてきたものだという見方は、音楽とその教育を広い視点から捉えることを可能にします。他の著作に『歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ』(中公新書)や『考える耳 記憶の場、批評の眼』(春秋社)などもあり、そちらもおすすめします。
学校での音楽教育では、人々はどんな経験をするのか
先生と生徒はどんな経験をしているか
私の研究の問いは次の1点です。学校音楽教育は人々にどう経験されるか。もう少し具体的に言うと、教室で実際に授業をしている/受けている先生と生徒は、どんな経験をしているかを、音楽という窓口から研究しています。
教えても、学んでいるとは限らない
近年、正規のカリキュラム(時間割とか先生の指導計画)とは別に、表立っては語られないけれども、生徒たちが暗黙裡に学んでいるインフォーマルなカリキュラム、すなわち潜在的カリキュラム(hidden curriculum)(「隠れたカリキュラム」とも呼ばれます)の存在が注目されてきています。
第一発見者といわれるアメリカのP.W.ジャクソンは、学校の日常生活を生徒の側から「ありのまま」に観察し、生徒にとっての潜在的カリキュラムとは、退屈さとそれに耐えることの学習であった(!)ことを明らかにしました。
「教えられたことが学ばれるわけではない」。潜在的カリキュラムが明らかにしたこととは、「教えられた内容」と「学ばれた内容」のギャップでした。
何をどう教えるかより、何をどう学んだか
これまでの研究者は、どちらかといえば「何をどう教えるか」を問題にしてきました。これに対して私は、「何をどう学んだか/経験したか」を問います。
今は、先生と生徒の経験の土台に学校音楽文化というものがある、という仮説を考えて、紙の上の計画化されたカリキュラムでなくて、学校音楽教育の「生きた」姿を国際比較から明らかにしようとしています。
学校教育は、生涯にわたって人々が豊かに生きられる基礎を築くものです。音楽は、家庭の「習い事」などで特別に教育を受けた人々が、「学力の貯金」をもって有利に成績をおさめる教科であることが、研究から明らかにされています。
多様な背景をもつ子どもたちの音楽経験がどんなものかを明らかにすることは、学校の音楽教育の役割を考えていく上で重要です。潜在的カリキュラム研究は、音楽にジェンダーの隠れたメッセージが含まれることを明らかにしてきました。「見えない」ものを「見える」化することが、教育を改革する第一歩と考えています。
◆先生が心がけていることは?
「小さな社会」の中で、まずは一歩という気持ちで小さな日常的なことから取り組んでいます。最近は輪番で回ってきたマンションの管理組合の理事や自治会役員を通して、福祉、ジェンダーの平等、不平等をなくすことに関心をもっています。とてもとても小さなことから、少しずつ…です。
例えば、2歳のお子さんがいらっしゃる女性が、次に輪番で役員が当たったのですが、月1回の理事会に子どもを連れて出ても良いか、と問い合わせがありました。役員はパスすると6万円(高い!)払わねばなりません。会議は土曜です。毎週土曜日に休みが取れる働き方ができる人、子どもを家族に預けて数時間の会議に出られる人は良いのですが、すべての人がそうできるわけではありません。
週末、子どもをパートナーか祖父母、誰かに見てもらって会議に出られるという人たちしか出られない会議なら、そうした生活をしていない人々、そうした生活ができない人々や家族の視点は欠落したまま、社会が再生産されていくでしょう。現代は働き方も家族のあり方も多様です。「子どもがうるさかったらダメ(なので6万円払ってもらう)」「会議は半分出られなかったら6万円!」…そんな意見が出されたりした時は、思わず発言してしまいます(笑)
まずは、足元から。持続可能な社会、平等な社会を作るには、多様性を認めた社会のあり方や、周辺におかれた小さな声に耳を傾ける努力こそが必要だと思うからです。
「学校音楽カリキュラム経験の国際比較―教科学習経験産出装置としての学校音楽文化研究」
田中統治
放送大学 教養学部 教養学科/科学研究科 文化科学専攻
【カリキュラムの社会学的研究】私が最も影響を受けた研究者です。研究者としてかけ出しの頃、この先生の研究に刺激をうけ、先生のもとで学びたいと考えました。願いかなって、先生のもとで博士論文をまとめることができました。学校のカリキュラムに先生や生徒の視点を含めた研究を展開して、当たり前にあると思っている「教科」はどんな作用を持っているか、どんなところで生徒の経験が異なってくるのかを明らかにしています。カリキュラムが固体物体的なものでなく、関係性から成立する流動的なものであることを実証的に示した点、カリキュラムに「人」を含めた斬新な研究視点に、とても刺激を受けました。
根津朋実
早稲田大学 教育学部 教育学科/教育学研究科
【カリキュラムの評価研究】評価の視点に、学習者の「主観」や、学習者が後に「ふりかえって」どうだったか、という「回顧的カリキュラム」を検討しています。学校教育の効果を長期的に見ている点が、とても参考になりました。
西島千尋
日本福祉大学 教育・心理学部 子ども発達学科
【鑑賞教育】クラシック音楽はなぜ「鑑賞」されるようになったのかを明らかにしました。今、誰でも当たり前にあるものと考えている音楽の「鑑賞」という行為そのものが、歴史的な社会文化の中で作られたものであることを明らかにした点は、とても刺激的で興味深いものです。斬新な研究視点や切り口はとても勉強になります。先生が翻訳を担当した『ミュージッキング 音楽は<行為>である』(水声社)も、音楽を新しい視点から見ることができる名著で、注目される研究者の一人です。
◆最初に必ず学生に伝えることは
自分でテーマを決めること。そしてディスカッションが大切であること。その中で私もみんなが考えてきたことにいろいろなことを言うけれど、先生が絶対に正しいとは考えないこと。本に書いてあることも「ほんとかな」と思って読むこと。論を批判し、人格批判をしないことなどを説くようにしています。
◆よき師、よき友とのめぐりあいを大切にしてほしい(立命館大学 教員ボイスHP)
◆主な業職種
(1)小・中学校、高等学校の教員
(2)官庁、自治体、公的法人、国際機関等の職員
◆学んだことはどう生きる?
卒業生の何人かは、教員になっています。そのうちの一人は、高校の軽音部のフィールドワーク(観察)研究をしました。生徒同士の関係性によって音楽活動が成立するという研究は、部活動や学校行事、また授業の中でも意味があったと話します。地域でも中核的な立場の教員になっているようです。海外で暮らしてみたい、というのが夢だったので、日本人学校を希望し、数年欧州に滞在したことから、今は日本文化をどう継承するかという課題に取り組んでいます。
子ども社会専攻は、産業社会学部の中にあり、(教育学部でなく)社会学部の中に小学校教員養成課程を設置している点に、大きな特徴があります。子ども社会専攻は、「骨太の教員養成」を理念に、「子どもと社会」「子どもの社会」を幅広く学ぶカリキュラム編成となっています。そのため、教育学部において主流である教育学、教科教育学研究に加えて、福祉を含め、社会学的研究が広く蓄積されています。
ピエタ
大島真寿美(ポプラ文庫)
18世紀イタリア、爛熟の時を迎えた水の都ヴェネツィアを舞台に描かれる物語です。それは『四季』の作曲家ヴィヴァルディの訃報から、一枚の楽譜をめぐって、スカフェータという赤ちゃんポストに預けられ慈善院で育った女性が、過去を回想する形で展開します。教会の司祭だったヴィヴァルディは、孤児たちを養育するピエタ慈善院で「合奏・合唱の娘たち」を指導し、慈善院の経営を支えました。
教会と慈善院、そしてスカフェータは、今もまだヴェネツィアで形を残しています。ヴェネツィアの社会、ヴィヴァルディの生涯、ピエタで育った子どもたち、女子だけのヴェネツィア慈善院音楽学校。静かに描かれる物語は、読み終われば、ヴェネツィアやヴィヴァルディを、スカフェータやピエタを、そして人生そのものを、これまでと違った視点から見ている自分に気がつくでしょう。すべての人におすすめする1冊です。
Q1.18歳に戻って大学に入るなら何を学ぶ? 音楽。素質と才能があるなら、やっぱり演奏家になりたい! |
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Q2.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? イタリアのトスカーナか、東南アジアの海辺の町で暮らしてみたいです。しかし、たぶんしばらく暮らすと「日本が良い!」と思うのでしょう。日本に戻るときは、いつもパスポートコントロールを通過するたびにほっとしている自分に気づきます。 |
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Q3.感動した映画は?印象に残っている映画は? 『わたしを離さないで』。海外出張の欧州便の飛行機で見ました。すっかり引き込まれて、見入ってしまいました。そのときは原作をまだ読んでいませんでしたが、原作を読んでから映画を見ると、また違った見方ができるでしょう。到着までがとても早かったです。 |
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Q4.研究以外で楽しいことは? 今はすべてを辞して、ひたすらオンライン授業の準備にまい進しております。一週間がとても早いです。「オンライン授業という大変な中、授業を提供してくださってありがとうございます」「いつも授業を楽しみにしています」と学生からメールをもらうことが、今は本当に一番嬉しいです。そしてその合間に、友人らと「絵本」を作ることを考えています。いつの日か出版できることを夢見て。 |