戦後、世界の前衛美術が日本の伝統美術にも衝撃
新しい美術が誕生
かつて経験したことがない大量殺戮、大量破壊が繰り広げられた第二次世界大戦は、人間とは何かを激しく問い直す出来事でした。美術の世界でも、人間がこれまで「美」としてきたものを白紙にし、まったく新しい発想で作品を生み出そうとする若い美術家たちが、ヨーロッパやアメリカに相次いで現れました。
フランス人の美術評論家ミシェル・タピエ
彼らは、体全体の激しい動きを絵筆に乗せて描くなど、奇抜な方法で抽象絵画を発表していましたが、そうした動きに着目したのがフランス人の美術評論家ミシェル・タピエでした。タピエは彼らの作品を、戦後という新しい時代意識で結ばれた美術として理論化し、それをアンフォルメル(「未然形」や「未定型」などと訳されます)と名付けます。
前衛美術の展覧会を日本で開催
そしてこれを新しい国際的な前衛美術運動へと発展させるべく、1957年、日本で展覧会を開催します。この展覧会はセンセーションを巻き起こし、洋画や彫刻だけでなく、日本画や工芸、生け花などの伝統的な世界にも衝撃を与えました。さらにタピエは、関西の「具体」グループなど日本人美術家を運動に加え、パリやニューヨークに紹介したのでした。
私の研究は、当時の日本人がアンフォルメルの何に驚き、共感し、どのような影響を受けたのかを調べ、彼らにとってこの戦後初の海外の前衛美術との接触、美術史上初の国際的前衛美術運動への参加とは何だったのかを考えることです。それにより、現在の私たちが国際社会でいかに生きていくかのヒントを得ることが最終目標です。
「日本美術におけるアンフォルメルの受容と展開」