◆先生のご研究について教えてください
私はいわゆる現代音楽の作曲に取り組んでいます。最近は、オーケストラ作品の作曲が課題です。オーケストラは西洋音楽の分野において伝統的なものですが、様々な楽器の組み合わせなどまだまだ可能性があります。オーケストラというひとつの集団が私たちの社会や集団心理を象徴するような音楽を作曲したいと思っています。
◆作曲をするとき、特に意識していることはありますか
例えばある作品を作曲していたとき、旋律について改めて考えてみる必要性を強く感じました。人の中にある憧れや孤独を旋律の在り様によって表現したいと思ったのです。
その作品では、ふと現れたかと思うとたちまち消えてしまったりだんだんといつの間にか別の姿へ変貌したりするような、時間の中で旋律が変化していく様を描こうとしました。時間の経過により、今までの心象と異なる何ものかが垣間見えてくるような心理の移ろいを表すことを試みました。そしてその移ろいを如何に音楽の形式に落とし込むか、また、移ろう旋律はその時々にどのような音響を伴うのかなどに注意を払いました。
それは、経験によって普段見慣れた風景が何かをきっかけとして今まで見てきたものと違って見えるとき、人はまた新しく生まれるのだ、ということを表現する試みでもありました。
◆現代音楽という芸術表現を研究することの意義について、どのようにお考えですか
音楽を聴いて心が弾んだり、悲しいときに聴いた音楽が心を慰めてくれたりした経験をお持ちの方は多くいらっしゃると思います。しかし、音楽は人の心に寄り添うだけではなく人を新たに目覚めさせるような新しい感覚を促すこともあります。
この瞬間にも生まれ続けている今の時代の音楽は、私たちに現代社会と人間の関係性の在り方を示してくれます。過去の音楽だけではなく同時代の芸術表現に触れることは、私たちが今生きている時代を多角的に観察、知覚することにより、より良く生きるための手段にもなり得ると信じています。
音楽はいつからでも始めることができます。そして音楽は、人と人とを直接つなげることができる芸術活動です。世界に様々な言語があるように音楽にも様々な音楽があり、そこに優劣などありません。
音楽は必ずしも、楽器を必要としません。声を発したり手を叩いたりするだけでも音楽を作ることができます。学校で音楽を学ぶ機会があることで、学校を出た後もいつだって自分なりの向き合い方で音楽と触れることを可能にします。学校における音楽の教育は、そのための手立てでもあるのです。
私が幼い頃、父が休みの日によくオーケストラのレコードをかけていて、それがきっかけで音楽に親しんでいました。しかし、私の家にはピアノがありませんでした。家にある楽器は古いギターで、それは母がバザーで買ってきたものでした。
当初、私はギターの音だけでなくギターの木や弦の触感の心地よさにも魅かれて、当時テレビで放送していたギター番組を見ながら黙々と練習していました。そして中学生のとき吹奏楽部に入部しました。
部活動で音楽に触れているうち、父がかけていたレコードの音楽、ギターで学んだ音楽、テレビから聞こえてくる歌謡曲やアニメソング、部活動で演奏する音楽など様々な音楽が私の中で交錯し、「自分は常に音楽とありたい」と思うようになりました。
高校は普通科に進学しましたが、その頃にはすでに音楽大学に行こうと決めていて、中学生の頃から少しずつ独学で和声学など音楽理論の勉強をするようになっていました。
「芸術一般」が 学べる大学・研究者はこちら
その領域カテゴリーはこちら↓
「20.文化・文学・歴史・哲学」の「82.文学、美学・美術史・芸術論、外国語学」
三重大学教育学部学校教育教員養成課程音楽教育コースでは、1年生から音楽の専門授業科目があります。その授業をカリキュラム通りにきちんと履修することにより、段階的に音楽理論を学ぶことができ、入学時に音楽理論や作曲などの知識や経験がなくても誰もが一定の条件下において作曲ができるようになります。
3年生から音楽の各分野に分かれて卒業研究に取り組むことになりますが、作曲を専門とする私の研究室では、3年生は和声学とともに西洋音楽において最も重要な音楽理論の根幹である対位法の習得に取り組んでいます。そして、対位法を学ぶことにより作曲語法の語彙を拡張するとともに、その歴史の変遷を広く見ることも試みます。
4年生は自分自身で主題や楽式などを考え、作曲という行為を通して音楽と自己、あるいは音楽と人の関係性について考察します。それは自分自身を再発見する試みでもあります。作曲は、今まで学んできた音楽理論をただ単に踏襲することだけを目的とするのではなく、自分自身を表現する時に如何にそれらを乗り越えていくかに醍醐味があります。
◆主な業種
教育学部全体では学校教育や教育学習支援業が主ですが、公務、医療・福祉、製造業、卸売・小売業などに就職する方もいます。
◆主な職種
音楽教育コースの卒業生の多くは小・中学校の教員に就職しますが、高等学校の教員や民間の音楽教室の講師や地方公務員に就職する方もいます。教育学部全体ではやはり小・中学校教員、高等学校教員、保育士や幼稚園教員、特別支援学校教員が主ですが、地方公務員や一般企業に就職する方も一定数います。なお、就職率は教育学部全体で100%になります。教員採用率も約60%に達しますのでかなり高いと思います。
◆学んだことはどう生きる?
音楽教育コースの卒業生の多くは小学校、中学校(音楽)の先生になっています。また、高等学校(音楽)や幼稚園や特別支援学校の先生、音楽教室の講師になった方もいます。もちろん、教育関係以外に公務員や企業に就職した卒業生もいます。
教育関係の勤務先では、大学で学んだ音楽の様々な知識を生かして授業研究に取り組むことができるようになります。私の専門分野でいえば、和声や作曲の技能を応用し授業で使用する教材を自分で作ることができるようになります。例えば音域(声域)やリコーダー等の運指や打楽器の奏法など、様々な制約や可能性がありますが、作曲の技能を応用できると子どもたちの発達段階に合わせ柔軟で多様な教材を自ら作ることができるので授業の幅も広がります。また、音楽づくりや創作活動の指導も自信をもって取り組めるようになるでしょう。
現代音楽は聴いてもよくわからない、小難しくてつまらない音楽と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ただし「現代音楽」と一口に言っても様々な音楽があります。これは、私たちの時代がそうであるように、音楽においても多様な価値観が併存していることが表れています。
私自身は高校生のとき、たまたま聴いたFMラジオで現代音楽を知りました。何か引っかかるものが自分の中にあり、ラジオを手がかりにいろいろ耳を傾けてみると中にはつまらないなと思うような音楽もありましたが、今までにない体験をした音楽に出会うこともありました。
それはなんだかよく分からなかったけれどもう一度聴きたくなるような音楽や、中には一度聴いただけで無性に興奮して部屋や近所をうろうろするような体験をさせる音楽でした。また、初めて聴いたときはつまらないなと思った音楽でも時間を経て何回か聴くことによって面白く思う音楽もありました。
三重大学教育学部は教員養成学部です。大学の授業では、現代音楽に焦点を当てて授業を展開することはほとんどありません。西洋音楽理論の基礎を土台にし、小学校や中学校の音楽の教科書に掲載されているような楽曲から、いわゆるよく知られたクラシック音楽を授業で扱っています。ただ、その中で少しですが現代音楽や民族音楽の一部にも触れています。
私は音楽大学で音楽を学び限られた範囲でずっと音楽を考えてきましたが、教員養成大学に勤めてみて自分が携わってきた現代音楽や民族音楽などが今日の音楽教育の発展に大きなヒントを与えるようなアイディアに満ちていることを知りました。
そして教員を目指す大学生と関わる中で、自分自身の音楽の見え方、聴こえ方がこれまでと少し変わってきたことにも気づきました。必然であっても偶然であっても、その時々の境遇により人の学びは様々な度合いでもたらされます。
人にとって無駄な学びは一切ありません。皆さんのアンテナがご自身の一番興味あるところに強く反応しながらも、様々な角度からも柔軟に反応することによって、豊かで旺盛な知識人として、魅力ある大学生・社会人に成長されることを応援します。
私の研究の核心というわけではありませんが、大学の授業では以下のようなことを扱うことがあります。皆さんも試しに取り組んでみてください。
題:童謡の「砂山」(北原白秋 作詞)について以下の項目に沿って課題に取り組んでみよう。
(1)「砂山」の詞が作られたきっかけや詞の意味を調べる。
(2)中山晋平と山田耕筰が作曲した「砂山」を以下の点から比べてみる。
【楽節】・【声域】・【調など】・【リズム】・【全体を通して】等
※【調など】は先生など専門的知識のある人に質問してもいいでしょう。
(3)中山と山田による「砂山」について、以下の点をきっかけにそれぞれの音楽的特徴を挙げてみる。
【楽節】・【声域】・【調など】・【リズム】・【全体を通して】等
※【調など】は先生など専門的知識のある人に質問してもいいでしょう。
(4) (3)から中山と山田はそれぞれ何を表現したかったのか、2名の表現の違いは何か、推察してみる。
(5)中山や山田以外に「砂山」の詞に音楽を付けた人がいるか調べる。
(6)同じ詞(詩)に異なる作曲者が音楽を付けた歌が他にあるか調べる。
(7) (5)と(6)からどのような傾向が見えてくるだろうか。もし、傾向があるとしたらそれはなぜだろうか。
(8)「砂山」が発表された時期と同時期の詞や童謡を調べる。
(9)自分たちで調べたいことを課題として設定し、調べてみる。
※調べたことを発表するときは、調べた情報をどこから得たのか明らかにして発表しよう。
音楽の基礎
芥川也寸志(岩波新書)
音の羅列がどうして音楽として聴こえるようになるのか。記譜法や音階など、音楽の理論的な基礎にはその答えが隠されている。本書の音楽理論の説明はやや難しく感じられるかもしれないが、それは音の羅列が音楽になるための約束事だ。
しかしまた、約束事だけでは音は良質な音楽にはならない。あのバッハやモーツァルトにもきっと些細なことで笑ったり怒ったりする愛すべき日常があり、彼らの感じた生の美しさが投影されて初めて、音は多くの人を共感させるような音楽になる。
「静寂とはかすかな音響が存在する音空間であり、この静寂こそが人に音の美しさを感じさせる」といった著者の音楽をめぐる思索が随所ににじみ出ているのも趣き深い。
Q1.18歳に戻って大学に入るなら何を学ぶ? 今と同じ作曲です。しかし、音楽以外の様々なことも併せて学びたいです。なぜなら、音楽の専門的な技能だけではなく、様々な知識や経験が作品に反映されると思うからです。また、音楽や作曲から離れたところでも、より豊かに生きたいと思うからでもあります。 |
|
Q2.感動した映画は?印象に残っている映画は? 「惑星ソラリス(タルコフスキー)」「虎男」「ふくろうの河」などが今も印象に残っています。「惑星ソラリス」は深夜のテレビ放送で観ました。中学生の頃です。静かで美しい映像の中に、悲しみを湛えながら物語が進んでいきます。最後は宗教画のようなコマだったと記憶しています。興奮し、夢中になりました。 インド映画「虎男」もテレビ放送で知りました。新しいものに抵抗する伝統の敗北のような結末ではありますが、消えてゆくものの中に尊さを感じるものでした。フランス映画「ふくろうの河」は学生時代に映画館で観ました。物語の構成と最後の時間の表現に感銘を受けました。 |
|
Q3.研究以外で楽しいことは? 散歩をすることです。他に食べることと料理することも好きです。また、最近は再びレヴィ=ストロースや彼に関する本を読んでいます。 食事について、もともと外食をする方ではなかったのですがコロナ禍以降外食はまずしなくなりました。自宅で料理するにあたり動画などを見て様々な料理に挑戦しています。食べることはもともと大好きです。 レヴィ=ストロースは、法則性を見出そうとするときの手順や姿勢に魅かれます。別の分野からもヒントを得て、それを具体的に押し広げる旺盛な研究活動とその成果に、只々感嘆するばかりです。 |