第4回 後期『哲学探究』~20世紀の科学観を揺るがした「言語ゲーム」って何?
『論考』を完成し、やることのなくなったウィトゲンシュタインは、小学校の先生になります。彼は哲学者をやめて、一人の人間として幸福に生きようとしたんです。でも小学校の先生時代に、子どもに暴力をふるい怪我をさせてしまうという事件を起こしてしまいます。ちょっとみっともない挫折ですね。哲学の学説と生き方を一致させたいと願っていたウィトゲンシュタインが、自分の哲学が本当に正しかったとしたら、どうしてその『論考』を完成後の小学校教師時代、そんな挫折を経験してしまったのでしょう。
思うに彼は、『論考』の、語りえない神や倫理が現に存在するがそれについては何も語ってはいけないという思想と、現実の自分の日々の生活をぎりぎりのところで“調停”しながら生きようとしたのではないかと思います。しかし結果としてうまくできませんでした。後になってウィトゲンシュタインは自分のこうしたありかたを、自己を偽って理想を演じていたと厳しく反省することになります。
この中断期を経て、1929年からの長い後期の生と哲学が始まります。2冊目の主著『哲学探究』(以下、『探究』)では、前期と異なるまったく新しい言語観(言語ゲームとしての言語)形成してゆきます。
前期『論考』の根本は、文(あるいは言語)とは世界のできごとを明晰に記述するためのものだ、という考えでした。それが言語の本質だと考えられていました。しかし科学言語のように世界の有様を記述することは(重要なことではあっても)、毎日生きている中で僕たちが言語を用いて行っている実に様々なことのごく一部に過ぎないことに彼は気づきます。
次のような言葉の例を考えてみましょう。例えば「早く来い」という言葉は、「夏休みを待ち焦がれる小学生の独白」とも「ハイキング中に先生が生徒に命じるときに使う言葉」とも理解できます。誰がどんな場合にそれを言うのかによってその意味は変わります。要するに『論考』の致命的な欠点は、言語の意味とは、それが使われる目的、場面によって決まること、そして科学のように事実を記述するのは言語の多くの目的の中の一つに過ぎないことを完全に見落としていたことです。
不ぞろいで不完全な日常生活の言語こそが現実の言語
ウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」という概念を用いて、この『論考』の限界を打破し、より包括的な言語像を描こうとしました。すなわち彼は、日常生活の様々な場面で我々が言葉(例えば「早く来い」)を用いてお互いに行っている様々な行為を、ある種の単純な劇のようなものとみなし、「言語ゲーム」と呼びました。そして我々が言葉を習得するとは様々な「言語ゲーム」をマスターしてゆくことだと考えました。それは様々な行為の型(例えば、命令、挨拶、景色の描写、等)をマスターし、社会において言葉を使って他の人間を関わり合えるようになることです。
こうした観点からすると、我々の日々の生活は様々な言語ゲームの集まりや重なり合いということになります。我々が現に使っている言語とは膨大な数の言語ゲームの集まりであり、科学の厳密な言語はその一部にすぎません。全体としてみればそれは、前期『論考』で考えられたような厳密で簡潔な構造を持つものではなく、(それから見れば)不ぞろいで不完全な日常生活の言語こそが現実の言語なのだ、というのが後期『探究』の主張です。
こうした言語は人間の生活と一体であり、人間の習慣が変化すると変化します。例えば、若い人のしゃべる「やばい」という言葉も、新しい一つの言語ゲームです。なぜなら昔は「いけない」という悪い意味だったのが、「すごくよい」という意味になったわけですから。それは若い者同士の会話の文脈で発生した新しい言語ゲームと言うことができます。
ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記
ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン:著、イルゼ・ゾマヴィラ:編集、鬼界彰夫:訳(講談社)
20世紀の哲学の流れも作ったとされる前期ウィトゲンシュタインの分析哲学を筆頭に、『論理哲学論考』など、その著作は、大変難解なものとして知られている。そのような中にあって「93年初めて公開された日記・告白」、加えて「鬼界先生による、『論考』から言語ゲームに至る哲学的転回を読み取ろうとした解説」で構成される著作。
第一次世界大戦中『論考』を仕上げて、終戦と同時に、哲学の仕事はやり尽くしたとして、小学校教員となったものの、そこでうまく行かず、1929年40歳でケンブリッジに戻り、後期の活動を始めた直後の1930年41歳から1937年48歳まで、彼がいかに前期の成果・知見に縛られて生きてきたか、そしていかにしてそこから脱し得たかの「苦しみとの格闘」の日々が語られる。そして鬼界先生によると、1937年の1月27日から2月8日に期間に、「理想というものをそれが本来属する場所に置く」こととして、「論理学上、言語哲学上の大転換が遂行」された、と分析される。彼は、前期の成果を原罪と断じ、その後現実を生き始め、新しく言語ゲームの理論に行き着くのである。鬼界先生が、人生とその哲学を一致させた哲学者として、ウィトゲンシュタインを紹介した、その考え方は、まさにこの本で示されている。
鬼界先生曰く「『論理哲学論考』から『哲学探究』へと至る巨大な哲学的変化を実現させた哲学者の内面でいったい何が起きていたのかを、飾りのない生の言葉で知ることができ、高名な哲学者もあなたと同じ人間であること。同じ人間として、このような考え方、生き方があるのだということが知ることができる。<弱さとは恐るべき悪徳である。(p.95)>」
「哲学をするということと、普通の人間の一人として世の中に生きるということの関係。その最高の実例の一つから、生きることと、哲学することについて、読者が知りたいと思うことが知りたいと思う程度においてくみ取れる。自分を見る鏡として用いることができる」。