イブン・ジュバイルの旅行記
イブン・ジュバイル、訳:藤本勝次、池田修(講談社学術文庫)
14世紀前半にモロッコを出発し、足かけ約30年、アフロ・ユーラシアを旅して回ったイブン・バットゥータの記録『大旅行記』は、東西交流が盛んだった当時の各地の様子を伝える重要な史料です。是非とも読んでみてほしいのですが、なにしろかなりの分量があります(平凡社東洋文庫で全8巻)。
代わりに、『大旅行記』の所々で引用されているイブン・ジュバイルの旅行記を薦めます。彼が旅したのはサラディンと十字軍勢力が争っていた12世紀末の地中海と中東ですが、イスラーム教徒とキリスト教徒との通商が普段通り行われていたといった記述には、驚く人も多いのではないかと思います。
14世紀西アジアの世界観を探る、アラビア語歴史書研究
モンゴル帝国衰退後の世界史書はないのか

モンゴルがユーラシアの東西を支配した13世紀、人・モノ・情報の交流が、かつてない規模で盛んになりました。しかし、14世紀半ば以降、ユーラシアの各地で天災や疫病が続き、モンゴル帝国が衰退すると、東西交流の規模は縮小しました。
その影響で、ポスト・モンゴル期(14世紀中葉から16世紀初頭)に中東で書かれたアラビア語の歴史書はほとんど、各著者が暮らした地域を対象とする地方史であったと、一般には考えられています。
しかし、本当にそうなのか、私はこのことに疑問を持ちました。というのも、当時エジプト・シリアを支配したマムルーク朝(1250-1517年)を代表する歴史家マクリージー(1364-1442年)の著作は、インドやイベリア半島など遠方の事情にも少なからず触れているからです。
著者の情報網を探る
そこで、彼の年代記『道程』を取り上げ、そのうち14世紀後半について詳しく調べることにしました。実は『道程』は既に出版されてはいるのですが、信頼できるテキストではありません。そのため、まずは諸写本を調査、校合して、文章を確定する作業(これを校訂といいます)が必要になります。
今、その校訂をしながら、マクリージーがどこからどのように情報を収集していたか、彼の情報網を明らかにしようとしています。また、14世紀半ばにヨーロッパだけでなく、エジプト・シリアも襲った黒死病の詳細な記録を残しているので、その部分のテキストと翻訳を公表すべく、準備を急いでいるところです。

「ポスト・モンゴル期中東の知的ネットワークとアラビア語歴史叙述」

◆講義「意外に身近なアラブ」では
ネタとしてよく話すのは、アラブ文化は意外に身近だということです。コーヒー、シャーベット、アルコールや星の名前デネブ、ベガなどアラビア語が語源の言葉は数多くありますし、数学の未知数をxとするのにもアラビア語が関係していることを話します。

◆主な職種
(1) 中学校・高校教員など
(2) 官庁、自治体などの一般・営業事務
(3) 大学等研究機関所属の教員・研究者
◆学んだことはどう生きる?
論文を書く経験は、どんな仕事にも応用できると思います。したがって、卒論を頑張って書いた学生が印象に残っています。私たちの専修では、卒論であっても、中国語、アラビア語、ペルシア語等の一次資料に基づくことを求めています。これら外国語の一次資料と格闘し優れた卒論を書いた学生たちの進路は様々で、高校教員や地方公務員になった人、一般企業に就職した人、研究者を目指し大学院で勉強を続けている人がいます。
東洋史の研究は、伝統的に中国史を中心に進められてきましたが、対象となる地域は中国に限りません。神戸大学文学部東洋史学専修の特色は、中国史専門の教員2名に加え、南アジア史専門の教員1名、西アジア史専門の教員1名が在籍し、学生たちの幅広い興味に応えようとしている点にあります。このような環境を活かし、中国語、コリア語、アラビア語、ペルシア語、トルコ語など多言語の文献にもとづく研究が行われています。
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Q1.18歳に戻って大学に入るなら何を学ぶ? 経済学。16才まで戻れるなら、医学か生物学。 |
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Q2.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? ドイツ。留学で通算8年間暮らしたから。 |
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Q3.一番聴いている音楽アーティストは? グレン・グールド。ベートーベンの『ピアノソナタ第32番』がお気に入りです。 |
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Q4.感動した映画は?印象に残っている映画は? 黒澤明『羅生門』 |