アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察
プリーモ・レーヴィ、訳:竹山博英(朝日選書)
筆者はアウシュヴィッツ収容所から生還した、イタリア人科学者です。生還した後、彼は自らの経験を語った手記や小説を残しました。しかし、最後は自死を選んだとされています。
彼はアウシュヴィッツという凄惨を経験しながらも、この本の中で、自らの経験をきわめて冷静に、正確に語ろうと努めています。この本を読んで、彼が収容所を生き延びることができたのはなぜなのか、彼が地獄のような収容所の経験によってもなお失わなかったものが何であるのか、しかし最終的に彼を死に追いやったものは何であったのかを、考えてほしいと思います。
ファシズムは日常的な感性から忍び込んでくる
ホロコーストの映像に衝撃
私が今の研究を志した原点は、後から振り返ってみれば、ホロコーストの映像を見たことだったと思います。90年半ばにNHKが制作した番組の中で、虐殺されたユダヤ人の無数の死体がブルドーザーで処理されるという映像が流されたのですが、当時それを見た私は涙が止まらなくなりました。
私がその時衝撃を受けたのは、「私たちと同じようにごく普通の生活を送っていたこの人たちは、自分の最後がこのようなものになることを信じられただろうか」と考えたからでした。そして、このような出来事は決して過去のものではなく、今私たちの身の上にも起こりうることなのかもしれない、と直感的に思ったのです。
美と政治の関係を考える
私がその後志したのは「美学」と呼ばれる研究分野で、主な研究対象は美や芸術ですから、普通はファシズムとは縁のない分野です。しかし私は、20世紀ドイツの哲学者であり美学者でもあったアドルノの研究を通じて、ファシズムや美と政治との関係について関心を持ち続けました。その結果として現在は、「崇高」という感情がファシズムとどのように関わるのかという問題に取り組んでいます。
これまでの研究を通して私が確信しているのは、ファシズムは私たちの日常的感性や感覚を通じて忍び込んでくるということです。私が目指しているのは、このメカニズムを明らかにすることです。そして、そのことを通して二度とファシズム的な政治が力を握らない社会の実現に寄与したいと思っています。
「ファシズムにおける「崇高」の美学と政治の関係をめぐる批判的考察」