明治政府が引き継いだ藩の貸付金から、新たな経済史が見える
実は財政難ではなかった?江戸時代の藩
江戸時代には、大名が支配する「藩」が300近くあったといわれています。藩に関する研究は古くから行われ、とりわけ藩の財政に注目されました。それは、多くの藩が政治や軍事の改革に取り組み、その中から薩摩藩や長州藩といった新たな時代を作った藩が出てきたからです。
諸藩が取り組んだテーマの一つとして、財政改革がありました。どの藩も資金繰りに困り、借金を重ねてその返済に苦しんだといわれています。しかし、藩財政が苦しいことを具体的に数字で示そうとすると、実はあまり確たる証拠はありません。藩財政が苦しいこと示す証拠は、当時の藩の役人がそう言っていたから、でしかありません。
数字にこだわり、いくつかの藩の財政収支簿などを検討すると、実は黒字を出していたり、へそくりを貯めていた藩があるということがわかりました。それらの藩は貯めたへそくりを農民や商人に貸し付け、利益を得ていました。
藩のへそくりも明治政府が引き継ぐ
明治維新後、廃藩置県により藩はなくなります。その時、藩が抱えていた借金を明治政府が引き取ったことは、多くの研究で明らかにされています。しかし、藩のへそくりも明治政府が引き継いだことは、ほとんど知られていません。引き継いだへそくりのうち、藩がいろいろな人たちに貸し付けていたものを、明治政府は「旧藩貸付金」と呼びました。
明治政府は全国の府県に、「旧藩貸付金」の取り立てを命じました。府県は明治政府とやりとりしつつ、江戸時代の古文書を調べたりして、なんとか取り立てを進めようとしました。一方借りた側の人々も、なんとか返さずに済むよう、府県にいろいろな形でお願いをしていました。
これらの実態を調べると、江戸時代の諸藩の貸付方法だけでなく、明治時代の経済のあり方も新たな姿を描き出すことができます。歴史の研究は古文書に則して行いますが、旧藩貸付金は古文書が教えてくれる、今までの常識とは異なる歴史の姿です。
「旧藩貸付金からみる幕末期の藩と地域経済の循環構造」