標高1000m超える山の上で、弥生時代の遺跡を発見
初めての遺跡探索で手にした土器片から考古学へ
校内暴力が社会問題となっていた1980年前後、当時、どちらかと言うと不良中学生だった私を、見かねた担任の先生が遺跡の探索に連れ出しました。その時、2000年前の弥生土器のかけらを拾い、1500年前の古墳時代の人々が積み上げた石室に触った私は、遠くはるか昔から累々と続くヒトの営みに感動を受け、魅了されました。これが私の考古学を研究しようと志した最初の一歩でした。
2008年、四国山地で遺跡発見
大学と大学院では日本考古学を専攻し、主に弥生時代高地性集落の研究・瀬戸内海古代社会の研究を行い、現在もこのテーマで研究を進めています。
2008年8月、初めて四国山地の山稜に登った時、私は「こんな所に弥生時代の遺跡があるなんて!」と、思わず言葉を発してしまいました。低地で稲作農耕を行った時代である弥生時代の遺跡が、標高1000mを越える高い山の上で見つかったのです。その時、私は中学生のころと同様の感動を受けました。そこで私は発掘調査を実施し、その実態解明に乗り出しました。
「低地・稲作農耕」の常識に一石を投じた
その結果、縄文時代晩期、弥生時代前期・後期の土器や石器が出土しました。出土土器には煮炊きした跡があり、自然科学的分析を経て、食物を調理していたことがわかりました。つまり山稜部で一定期間、縄文人や弥生人が生活していたのです。従来の弥生時代農耕社会の考え方に一石を投じることになりました。多様性を持った社会は、はるか昔から存在し、その営みは現在の私たちにつながっているのです。
弥生時代に、標高1000メートルを超える山稜で人間が活動した背景には、気候変動が大きく関わっていると考えられます。いにしえの人々がどのように気候変動と向き合ったのか、それを知ることで未来への展望が見えてくるはずです。山の生態系を知り、活用し、生きていく。これは今も昔も変わらない私たち人間の営みです。「故きを温ねて新しきを知る」ことが重要なのです。
◆先生が心がけていることは?
海辺のゴミ拾い
「西日本最高地点に立地する山稜の弥生遺跡群に関する実証的研究」
宮本常一(故人)
武蔵野美術大学 名誉教授
【瀬戸内海文化・民俗学】「歩き、見る、聞く」を実践し、普通の人々の様々な民俗史を後世に残しています。
■宮本常一データベース(周防大島文化交流センターHP)
◆講義「文化財論」の初回では
「私は地中海をこよなく愛した。……思うに、人々がながめ、愛することができるような海は、過去の生活において存在する最大の資料であり続ける」。これはフランスの歴史学者フェルナン・ブローデルが1949年に刊行した『地中海』初版の序文に記した一節ですが、研究を行う際の心構えとして教えています。
◆主な業種
(1) 官庁、自治体、公的法人、国際機関等
(2) 大学・短大・高専等、教育機関・研究機関
(3) 小・中学校、高等学校、専修学校・各種学校等
◆主な職種
(1) その他教育機関教員、インストラクター
(2) 大学等研究機関所属の教員・研究者
(3) 中学校・高校教員など
愛媛大学では法文学部、社会共創学部、埋蔵文化財調査室、ミュージアム、アジア産業考古学研究センターに考古学の教員が配置されており、それぞれの研究テーマで、国内・国外の学術調査を展開しています。専攻生は学術調査に参加することができ、地域に根ざした文化のあり方を学べる一方、グローバルな歴史観を養うことができます。
Q1.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? フランス。地中海沿岸の暮らしを見てみたいから。 |
|
Q2.一番聴いている音楽アーティストは? 忌野清志郎。『トランジスタ・ラジオ』がお気に入り。 |
|
Q3.大学時代のアルバイトでユニークだったものは? 奈良の寺院で、秘仏公開の守番。 |
|
Q4.研究以外で楽しいことは? 自家用船に乗ること |
|
Q5.会ってみたい有名人は? のん |