文化人類学・民俗学

人類学

「人類学」を学ぶとは? 異なる考え方、別の生き方に触れ変容するプロセス


松嶋健先生

広島大学 総合科学部 総合科学科(大学院人間社会科学研究科 人文社会科学専攻)

出会いの一冊

何でも見てやろう

小田実(講談社文庫)

1958年の夏、小田実は一日一ドルで世界を一周する貧乏旅行に旅立つ。出発前に立てた誓いは、「何でも見てやろう」。ハワイを皮切りに米国本土からメキシコ、ヨーロッパ、アラブ諸国、インドを旅して見たこと、聞いたこと、食べたこと、考えたことが書かれたこの本を中学生のときに読んで私の人生は変わった。流通している「情報」を信じるのではなく、自ら現場に行って「何でも見てやろう」とする構えは、今も人類学の根本にあるスピリットだ。

こんな研究で世界を変えよう!

「人類学」を学ぶとは? 異なる考え方、別の生き方に触れ変容するプロセス

残り続けるもの、繰り返し甦ってくるもの

「人類学」というのは一つの学問分野というよりも、世界に対するある「構え」のようなものです。それがどのような「構え」なのかについて私は、先達の人類学者ティム・インゴルドにならい、〈私たちはどのように生きるのかという問いに応えるために、世界中に住まう様々な人の知恵と経験を知り活かす〉こと、と捉えています。

こうした「構え」とともに研究を行う際に私が大事だと考えているのは、どんなに社会が変化しようとも、どれほど悲惨な出来事があっても、残り続けるもの、繰り返し甦ってくるものです。それは、「持続可能性」のような未来志向的な観念ではなく、人類史を通じて「残り続けてきたもの」、明らかに見えるかたちでは存在しないように思われるかもしれないけれども「常にそこに潜在しているもの」の次元です。

この次元について先達の研究者たちは、「残りのもの」「マイナーなもの」「古代的なもの」「固有信仰」「基盤的コミュニズム」「ゾミア」「レジリエンス」「廃墟」「無意識」といった種々の異なる概念によって言い表そうとしてきました。

危機的状況もしくは「ハレ」の状況において意識される次元

肝に銘じておかなくてはならないのは、常に潜在しておりそれが私たちの生と世界を支えている次元というのは、通常の健康な状態の意識では捉えるのがきわめて難しいということです。それは危機的状況もしくは祭礼のような「ハレ」の状況においてしか明確に意識されることはありません。それゆえ私は、精神疾患やトラウマ、あるいは酒と発酵文化と微生物といったテーマで研究を行なってきました。

ただテーマだけではなく人類学的フィールドワークそのものが、いわば自らを危機的状況もしくは「ハレ」の状況に投げ入れることによって、通常の意識では捉えられない次元に触れることを可能にしてきた当のものだと言えます。

「人類学」を学ぶというのは、こうした経験を通して、当たり前に流通しているカテゴリーや概念そのものから問い直し、異なる考え方、別の生き方に開かれる心とからだに徐々に変容していくというプロセスにほかなりません。

テーマや研究分野に出会ったきっかけ

先生の研究報告(論文など)を見てみよう
先生の分野を学ぶには
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学生たちはどんなところに就職?

◆主な業種

(1) 大学・短大・高専等、教育機関・研究機関

(2) 官庁、自治体、公的法人、国際機関等

(3) デザイン・著述、翻訳、芸術家等

◆主な職種

(1) 大学等研究機関所属の教員・研究者

(2) 事業推進・企画、経営企画

(3) コンテンツ制作・編集<クリエイティブ系>

◆学んだことはどう生きる?

先生の学部・学科は?

広島大学の総合科学部はいわゆる文理融合型の学部で様々な分野の学問を学ぶことができ、自分の関心に沿ったかたちで文系理系にわたって分野横断的な研究テーマを設定することができます。人類学に特化した学科というのはないが、8名の人類学者が異なるセクションに所属しており、研究や指導における連携を保っています。

先生の研究に挑戦しよう!

中高生におすすめ

無縁・公界・楽:日本中世の自由と平和

網野善彦(平凡社ライブラリー)

「潜在的なもの」についての歴史学の名著。人類史において潜在的かつ普遍的な「無縁」の原理の現れを、中世日本の市や自治都市、聖や駆込寺を例に語るもので、日本の歴史にさほど興味がない人にとっても非常に面白い。人類学におけるアジールやリミナリティの探究とも通底する視点から描かれている。

ちなみに、「避難所」を意味するアジール(asile)という語が同時に「精神病院」を指すということが、私の精神医療をめぐる人類学の出発点。


コンヴィヴィアリティのための道具

イヴァン・イリイチ(ちくま学芸文庫)

コンヴィヴィアリティ(自立共生)は、人類にとってとてつもなく古くて新しい問題。単なるお題目としての「共生」ではなく、人間以外の存在とも共に生き続けていくためには、ある範囲と程度での自立と自律が不可欠である。テクノロジーや制度(そのすべてを包括してイリイチは「道具」と呼んでいる)がある臨界点を超えると、人はそれに依存した生き方以外を想像することすらできなくなり不能感と不幸感が増大していく。

50年前に思想家イリイチが提起した問題は、現在さらに切迫度を増して私たちにこれからどう生きるのかを問うている。


木に学べ:法隆寺・薬師寺の美

西岡常一(小学館文庫)

「最後の宮大工」と呼ばれた西岡棟梁が語る大工の仕事の本領。祖父に言われまず農学校で学んだ西岡が、学校で習ったとおり窒素やリン酸の肥料配合をしたのに農民のおじさんよりも収穫が少なかった。祖父が言う。「おまえはな、稲を作りながら、稲とではなく本と話し合いしてたんや。農民のおっさんは本とは一切話はしてないけれど、稲と話し合いしてたんや。農民でも大工でも同じことで、大工は木と話し合いができねば、大工ではない。よーく心得て、しっかり大工をやれよ」。これからの世界に再び求められることになるであろう構えとわざと知恵の宝庫。

帰れない山

監督: フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン、 シャルロッテ・ファンデルメールシュ


北イタリアの都市と山の暮らしのコントラストのなかで、主人公、父親、親友との関係を軸に、自分が本当はどのように生きたいのかを知ることの難しさとそれを見出したときの深い悦びを描いた作品。それを知るためには、まずは舗装された道から外れて歩き出し、異なる生が確かにあるのだということを身をもって経験しなければならない。観た者に一歩踏み出すよう促す力のある映画。



ヴィンランド・サガ

幸村誠(アフタヌーンKC)


11世紀の北ヨーロッパ、ヴァイキング戦士である父を殺された主人公が、その恩讐を超え、アメリカに「ヴィンランド」という「無縁」の入植者たちによる非暴力の国を打ち立てようとする物語。戦争や農業に対する当時のヨーロッパの男女の考え方の違い、アメリカ先住民と関係を作っていくプロセス、暴力を行使せず「無支配」による「自立共生」の生活圏を作り出すことの難しさとヒントなど、広く人類史にとっての普遍的な問題が描かれた傑作漫画。

一問一答
Q1.18才に戻ってもう一度大学に入るならば、学ぶ学問は?

宮大工の修業:大学で学ぶ学問は何才からでも始めることができるが、習得に長い時間がかかるものは若い時に始めるしかないため。

Q2.日本以外の国で暮らすとしたらどこ?

イタリアのアルプス地方:山地酪農をしながら暮らしたい。

Q3.感動した/印象に残っている映画は?

『ストーカー』アンドレイ・タルコフスキー監督、1979年:世界が終わった後にも残るものについての映画。「ゾーン」は先達のガイドなしに進むことはできない。

Q4.学生時代に/最近、熱中したゲームは?

テトリス:1日10時間以上やっていた時期があるが、そんなある日、テトリスをやりながら幼少期の記憶が(走馬灯のごとく)次から次へと蘇ってきたことがある。


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