「人類学」を学ぶとは? 異なる考え方、別の生き方に触れ変容するプロセス
残り続けるもの、繰り返し甦ってくるもの
「人類学」というのは一つの学問分野というよりも、世界に対するある「構え」のようなものです。それがどのような「構え」なのかについて私は、先達の人類学者ティム・インゴルドにならい、〈私たちはどのように生きるのかという問いに応えるために、世界中に住まう様々な人の知恵と経験を知り活かす〉こと、と捉えています。
こうした「構え」とともに研究を行う際に私が大事だと考えているのは、どんなに社会が変化しようとも、どれほど悲惨な出来事があっても、残り続けるもの、繰り返し甦ってくるものです。それは、「持続可能性」のような未来志向的な観念ではなく、人類史を通じて「残り続けてきたもの」、明らかに見えるかたちでは存在しないように思われるかもしれないけれども「常にそこに潜在しているもの」の次元です。
この次元について先達の研究者たちは、「残りのもの」「マイナーなもの」「古代的なもの」「固有信仰」「基盤的コミュニズム」「ゾミア」「レジリエンス」「廃墟」「無意識」といった種々の異なる概念によって言い表そうとしてきました。
危機的状況もしくは「ハレ」の状況において意識される次元
肝に銘じておかなくてはならないのは、常に潜在しておりそれが私たちの生と世界を支えている次元というのは、通常の健康な状態の意識では捉えるのがきわめて難しいということです。それは危機的状況もしくは祭礼のような「ハレ」の状況においてしか明確に意識されることはありません。それゆえ私は、精神疾患やトラウマ、あるいは酒と発酵文化と微生物といったテーマで研究を行なってきました。
ただテーマだけではなく人類学的フィールドワークそのものが、いわば自らを危機的状況もしくは「ハレ」の状況に投げ入れることによって、通常の意識では捉えられない次元に触れることを可能にしてきた当のものだと言えます。
「人類学」を学ぶというのは、こうした経験を通して、当たり前に流通しているカテゴリーや概念そのものから問い直し、異なる考え方、別の生き方に開かれる心とからだに徐々に変容していくというプロセスにほかなりません。
◆主な業種
(1) 大学・短大・高専等、教育機関・研究機関
(2) 官庁、自治体、公的法人、国際機関等
(3) デザイン・著述、翻訳、芸術家等
◆主な職種
(1) 大学等研究機関所属の教員・研究者
(2) 事業推進・企画、経営企画
(3) コンテンツ制作・編集<クリエイティブ系>
広島大学の総合科学部はいわゆる文理融合型の学部で様々な分野の学問を学ぶことができ、自分の関心に沿ったかたちで文系理系にわたって分野横断的な研究テーマを設定することができます。人類学に特化した学科というのはないが、8名の人類学者が異なるセクションに所属しており、研究や指導における連携を保っています。
帰れない山
監督: フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン、 シャルロッテ・ファンデルメールシュ
北イタリアの都市と山の暮らしのコントラストのなかで、主人公、父親、親友との関係を軸に、自分が本当はどのように生きたいのかを知ることの難しさとそれを見出したときの深い悦びを描いた作品。それを知るためには、まずは舗装された道から外れて歩き出し、異なる生が確かにあるのだということを身をもって経験しなければならない。観た者に一歩踏み出すよう促す力のある映画。
ヴィンランド・サガ
幸村誠(アフタヌーンKC)
11世紀の北ヨーロッパ、ヴァイキング戦士である父を殺された主人公が、その恩讐を超え、アメリカに「ヴィンランド」という「無縁」の入植者たちによる非暴力の国を打ち立てようとする物語。戦争や農業に対する当時のヨーロッパの男女の考え方の違い、アメリカ先住民と関係を作っていくプロセス、暴力を行使せず「無支配」による「自立共生」の生活圏を作り出すことの難しさとヒントなど、広く人類史にとっての普遍的な問題が描かれた傑作漫画。
| Q1.18才に戻ってもう一度大学に入るならば、学ぶ学問は? 宮大工の修業:大学で学ぶ学問は何才からでも始めることができるが、習得に長い時間がかかるものは若い時に始めるしかないため。 |
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| Q2.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? イタリアのアルプス地方:山地酪農をしながら暮らしたい。 |
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| Q3.感動した/印象に残っている映画は? 『ストーカー』アンドレイ・タルコフスキー監督、1979年:世界が終わった後にも残るものについての映画。「ゾーン」は先達のガイドなしに進むことはできない。 |
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| Q4.学生時代に/最近、熱中したゲームは? テトリス:1日10時間以上やっていた時期があるが、そんなある日、テトリスをやりながら幼少期の記憶が(走馬灯のごとく)次から次へと蘇ってきたことがある。 |

