学校や社会で、権力への服従を作り出す権力
監視されると自分で自分の行動を律する
私が研究しているのは、20世紀フランスの哲学者、ミシェル・フーコーの思想で、とりわけ彼の権力理論について研究しています。
みなさんは、「パノプティコン(一望監視装置)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「パノプティコン」とは近代の監獄の建築様式を指す言葉で、中央の監視塔にいる看守が自分の姿を見られることなく、その周囲に配された独房内の囚人たちを監視するシステムのことです。フーコーは『監獄の誕生』の中で、パノプティコンによる恒常的な監視によって、囚人たちは常に自分が監視されていることを意識し、自分で自分の行動を律するようになる、と述べています。
これは例えば、学校で、テストの時間に先生が教室の後ろに座って生徒たちを監視すると、生徒たちは先生の視線を意識して自分で自分の行動を律するようになる、というシステムと同じものです。フーコーは、監視と処罰の組み合わせによって各個人に権力を内面化させ、権力に服従させるタイプの権力を「規律権力」と呼んでいます。
権力研究は、自由への問い
先ほど学校の例を出しましたが、みなさんも学校での普段の生活の中で、無言の形で、しかし効果的に権力への服従を作り出す権力を意識したことはないでしょうか。私自身、このようなフーコーの権力理論は、学校や社会で私たちを縛る権力のあり方を明快に明らかにしており、とても刺激的だと感じました。そこから、フーコーの思想を研究することになったのです。そしてその研究は、「いかにすれば私たちは社会の中でより自由に生きられるか」、「より自由な社会とは何か」、という問いに直結しています。
「ミシェル・フーコー『コレージュ・ド・フランス講義』総体の理論的・思想史的研究」