『論語』と孔子の生涯
影山輝國(中公叢書)
中国から伝えられた書籍(漢文で書かれているので、これを漢籍と呼びます)の中で、古来、日本人が最も愛読したのは『論語』です。『論語』は孔子とその門弟たちとの対話を集成したもので、これを読めば「儒教」という思想が何となくわかります。しかし『論語』は断片的な対話から成り立っているため、初心者にはちょっと難解です。そこで入門書が必要となるのですが、これまで書かれた入門書はおしなべて小難しい内容で、とくに中学生や高校生からは敬遠され気味でした。
ところが、ここに紹介する影山さんの著書はその先入観を吹き飛ばす画期的な入門書です。記述がわかりやすく、しかも面白い。その面白さはどこから来ているかというと、中国では滅んだが日本にのみ現存する『論語義疏』という注釈書を中心に据えて筆を進めているからだと思います。『論語』の面白さは解釈の多様性にあると私は常々考えていますが、本書はそのことを非常にうまく説明しており、まさに名著だと思います。
平安貴族の漢詩・漢文、日本独自の発展をみせる
平安時代の漢詩は中国の真似?
私の専門は「平安時代の漢文学」。平安貴族たちの作った漢詩や漢文を研究しています。日本人の漢詩と聞くと、多分皆さんは「李白や杜甫といった中国の有名な詩人の名作を模倣した不出来な作品」を想像するのではないでしょうか。実は私も、初めはそう思っていました。ところが、試しに少し読んでみますと(大学3年生の時のことでしたが)、随分違うように感じました。
中国の漢詩をベースにして違う意味を付加
特に10世紀に入ってからの日本人の作る漢詩はまったく違います。もちろん中国の詩人の使った言葉を学んではいますが、それとは異なる意味で用いたり、また別の意味を付加したりしています。
例えば唐詩に「秦嶺」という地名がよく出てきます。これは長安郊外の風光明媚な「終南山」を指す語です。ところが平安時代の日本人の漢詩に頻出する「秦嶺」は、秦の始皇帝が松の木陰で雨宿りをしたという伝承のある「泰山」を指しています。一体どうして、このような意味の違いが生まれるのか。ここが私の研究の出発点です。
平安時代の特殊性を考察
このような問題点を明らかにするためには、平安時代の文化の特殊性を考察する必要があります。
そのために私は、次の三つの柱を立てて取り組んでいます。
1.漢文学作品の読解研究
2.漢文学作者(詩人)の伝記研究
3.当時流通していた漢籍の書誌学的研究
これらの研究成果は年2回刊行の『日本漢学研究』という雑誌で公開していますので、参考にしてください。
「平安後期日本漢文学の総合的研究」