1930年代のパリで、アフリカ系文学はどう生まれたか
フランス語で書かれたアフリカ系文学
大づかみにいうと、私の研究はアフリカ系文学・思想の研究で、特にフランス語で書かれた文学・思想を専門にしています。「アフリカ系」の「系」には、アフリカ人だけではなく、自分たちのルーツがアフリカにあることを自覚する、象徴的には奴隷貿易によってアメリカ両大陸に連行された人々の子孫を含みます。
フランス語を話す黒人と英語を話す黒人がパリで出会う
そうしたアフリカ系の文学や思想がフランス語で書かれるようになるのは、20世紀前半、その舞台はパリでした。その頃のパリは、シュルレアリスム運動などの前衛芸術運動が華やぐ時期ですが、その一方で、植民地でフランス式教育を受けた学生たちが、フランス本国の大学に留学するようになる時期です。
そこで、アフリカから来た学生が、同じ黒い肌をしたカリブ海出身の学生と出会い、しかも、英語を話すアメリカ合衆国出身の黒人作家が同時期にパリに訪れます。
大西洋を取り巻く文学として、グローバルに考える
こうした様々な出会いから生まれるのがフランス語によるアフリカ系文学ですが、私はこの出会いをもたらした1930年代のパリに注目し、「環大西洋文学」という展望で、この出会いを生き生きと捉え直したいと思っています。
大西洋という海を越えてつながるアメリカ、カリブ海、ヨーロッパ、アフリカとの関係性のもとにアフリカ系文学の生成を捉え直すことで、英語、フランス語といった言語圏や、アフリカとアメリカといった地域圏の分断を超える、よりグローバルな文学研究を推進しています。
「両大戦間期パリにおける環大西洋文学の形成をめぐる語圏・地域横断的研究」
私の研究分野はしばしば「フランス語圏文学」(本土以外で、フランス語で書かれた文学)と呼ばれます。そうした研究が盛んであるのは、アメリカ合衆国、カナダ、フランスの大学です。日本では、東京大学教養学科地域文化研究分科や、早稲田大学文学部フランス語フランス文学コースをはじめ、フランス文学・文化の研究科を有する大学でも、こうした主題を学ぶことができます。