大学院生だったおよそ40年前から、光触媒反応を研究してきました。光触媒は、光があたるとそれ自身が変化することなく化学反応を起こす材料で、太陽光のエネルギーを使った水からの水素を製造、二酸化炭素の還元による燃料への変換、有機物を分解除去することによる環境浄化への応用が当時から期待されてきました。
有機物分解などの浄化については、ビルの壁やドーム型球場のテント、窓ガラスに光触媒をコーティングすることによる太陽光と降雨による清浄化や、冷蔵庫に組みこんだ装置で野菜や果実から発生するエチレンを分解することによる鮮度保持などが、すでに実用化されています。
しかし問題は、たくさんの研究者が取り組んでいるにもかかわらず、水からの水素製造や二酸化炭素の還元の効率が低いままで、実用化されていないことです。そのためには、どのように光触媒反応が起こるのかという反応機構に加えて、「光触媒のどのような構造を制御すれば高い活性(性能)になるのか」を解明する必要があり、私もそれに取り組んできました。
その中で、数年前に大変なことに気づきました。それは、光触媒という固体材料が「同定」されないまま議論されてきたことです。有機化学の分野では、対象とする有機化合物の分子の構造が何であるかを決める「同定」がされていないと論文に掲載されることはありませんが、無機固体材料は、表面の構造をふくめて構造を特定できる名前をつけられないため「同定」はあきらめられていたのです。これでは、ほかの研究者が作った光触媒と自分の光触媒が同じなのか違うのかさえわからず、議論がかみあわないのは当然でした。
ひょんなことから(研究はたいてい「ひょんなこと」からはじまります)、これまでにない特殊な方法を使えば、光触媒などの機能性無機固体材料の特定が可能になる「指紋」(となるパターン)をとることができることを発見しました。
これを使えば、容器のラベルがなくなっても、中身がなんであるかを特定するなんてことも可能です。現在は、光触媒からさらに対象範囲を広げて、広く機能性無機材料(「みがき粉」なんてのもこれに相当します)の同定と構造の精密評価できることを確認し、自作の測定装置を開放して、国内外の大学や企業の研究者に使ってもらって、この手法の普及をめざしています。
学問の本質は社会への還元ではない
私は「いい人」ではないので、「社会に役立てたい」なんてことはまったく思っていません。研究の目標は、「より多くの人に『やられた!』と思わせたい」だけです(平たく言えば、「モテたい」だけ)。このためには、現状を把握し、誰もが納得できる筋道で、従来とはまったく異なる概念を作りださないといけません。本当の意味でこれがうまくいけば、結果的に(望んでいなくても)社会の役に立つのかもしれません。
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「16.材料」の「63.鉄・アルミ・チタン・マグネシウム・セラミックス等」
一般的な傾向は?
●主な業種は→化学系の製造業、電機・機械などの業種の化学関連部門
●主な職種は→研究職
●業務の特徴は→大学院の時の専門分野のことを研究している人はほぼゼロです。そんなことを企業は求めていません。求められるのは、どんなテーマでもできる能力であり知識ではありません。その能力とは何かといえば、「習慣として研究を続けることができる」ことと、つねに「自分が主張することを他人が納得するかを自問自答できる(客観視できる)」ことです。
分野はどう活かされる?
おそらく専門分野の知識はまったく活かされていないと思います。もし研究室にいるときのことで活かされることがあるとしたら、考え方でしょう。研究で大事なのは「倦まず弛まず(どんなことでも飽きることなく気を抜くことなく)」と「やらない(できない)理由を探さない」です。この2つは研究指導の時にいつも言っています。
大学は、高校まではまったく異なるものですが、近年大学がだんだんと高校に近づいてきました。北海道大学もその傾向はありますが、まだちゃんと「大学」です。
大学というのは「知的刺激」を受けることが可能な場所です。「本を読むこと」と「ひとの話を聞くこと」で刺激を受けるチャンスがありますが、それを刺激と感じるかどうかはバックグランドとしての教養が必要です。今まで勉強してきたことが何の役に立つかといえば、それは「刺激」を感じられるようになるということだけです。
そんな必要はありません。テーマはどこにでも転がっています。例えば、「なぜ硬貨は丸いんだろうか」とか「なんで後出しジャンケンで負けるのが難しいのか」とか。こんなことを考えるのと、大学で研究者が考えていることは本質的に同じです。