グリーン・環境化学

環境負荷の少ない、新しい有機反応の開発(グリーンケミストリー研究)


東郷秀雄先生

千葉大学 名誉教授(元 理学部)/(株)合同資源 理事(研究担当)

どんなことを研究していますか?

私たちの豊かで健やかな暮らしに役立つ化学製品や医薬品の合成には、多くの合成過程で毒性の強い金属や薬品を使っています。例えば、芳香族ニトリルの用途には種々の抗癌剤や通風治療薬、液晶などがあります。

しかし、これら芳香族ニトリルの合成には金属シアン化物が用いられています。金属シアン化物の一つであるシアン化カリウムは、青酸カリのことです。シアン化ナトリウムは、青酸ナトリウムと呼ばれます。いずれも工業的に重要な金属を含む無機化合物ですが、同時に少量で致死にいたる劇薬です。

そこで私たちは、これらの有害な金属シアン化物を使わない新たな芳香族ニトリルの有機合成法を開発してきました。このように、毒性の強い薬品や遷移金属を用いない、あるいは触媒化反応等はグリーンケミストリーと呼ばれ、世界的に活発な研究開発が行なわれています。

私たちは、環境負荷を削減した、新しい有機反応の開発や試薬の開発も行っています。特にこの10年は、ヨウ素の特性を活かし、金属シアン化物を用いない芳香族ニトリルの合成法とその医薬合成への展開などを進めてきました。これもグリーンケミストリーの一環です。金属には、パラジウムのようなレアアースでやや毒性のあるものや、クロムや水銀など極めて毒性の高い金属もあります。一般に遷移金属と呼ばれる金属類は毒性のある元素が多いのです。

以前までは、これら遷移金属を用いた有機反応の研究が世界中で行われてきました。しかし、遷移金属を用いた有機合成では、製品への遷移金属の混入が問題となります。特に、医薬合成では厳しい混入防止が求められます。そこで遷移金属を用いない有機合成反応が主流になってきているのです。

一工程でクリーンな有機合成を行なう

液晶や医薬・農薬等の多くは、多段階の合成工程を経て製品化されています。しかし、それぞれの工程で生成物を単離精製するため、多くの時間とコストを要します。そこで、複数の工程を一つの容器で連続的に行い、目的物の単離精製を一回で済ませてしまう「一工程合成反応」の開発も進めています。

これは、製薬メーカーや化学メーカーにおけるプロセス化学として重要となります。例えば、芳香族ニトリル系の医薬合成で、危険な金属や金属シアン化物を用いないで、安価な市販原料から芳香族ニトリルの一工程合成法を開発し、成果を学術論文に発表し、特許を申請し、企業で実用化しています。

この分野はどこで学べる?
学生はどんなところに就職?

一般的な傾向は?

●主な業種は→化学や医薬・農薬メーカーの研究所勤務を希望

●業務の特徴は→新しい化学製品や医薬・農薬品の研究開発 

分野はどう活かされる?

私の研究室に配属された卒研生は、100%本学大学院理学研究科の修士課程に進学します。さらに、この内、10%が博士課程に進学します。修士課程の修了者は就職して、会社の研究所(化学メーカー、医薬メーカー、農薬メーカー)に配属されています。また、博士課程の修了者も会社の研究所や公的機関の研究所(科学捜査研究所など)に就職しています。

就職できなかった学生はゼロです。なぜなら、有機化学の研究室を修了した学生は、あらゆる有機化合物を合成する知識と技術を修得するからです。日本は物作りで発展してきたように、これからも優れた物作りで成長していかなくてはなりません。

先生の学部・学科はどんなとこ

千葉大学は11学部を有し、国立大学法人としては大規模大学のひとつです。理学部、工学部、薬学部、及び園芸学部の化学系教員は100人程度おり、総合大学の特徴を生かし、必要に応じて教育と研究を連携しています。

もっと先生の研究・研究室を見てみよう
先生からひとこと

高校生の皆さんに伝えたいこと。昔は、「科学(特に、理学)は真理を探求」していれば良いという考えが中心でした。しかし、あらゆる面で国際的競争の高まっている現在、日本の社会や経済、会社に時間的・財政的余裕はありません。国の財源にも余裕はありません。理学部であろうと、工学部であろうと、薬学部であろうと、それらの理念は異なっても、見出した研究成果を社会に還元していかなくてはなりません。「科学は真理を探求」するのは当然であり、その上で、教育・研究を通して優れた人材を育成し、見出した研究成果を、会社と連携して社会に役立つものへと反映させていくことが、大学や研究者の使命となっています。

私は、大学生や大学院生の時は毎月2万円ほどの科学書、専門書を購入して読んでいました。専門書の書店で一時期10万円の借金をしていたこともあります。でも、これらが良い肥やしとなりました。若い皆さんが勉学を通して独自の能力を築き上げ、オンリーワンとして大志を持ち、有機化学研究に携わってくれることを願っています。

有機化学は、健康で豊かな人間社会を維持発展させるための大黒柱であり、縁の下の力持ち的存在です。皆さんの活躍を楽しみにしています。

先生から~熱意ある若い世代に高い志と期待を込めて~

日本は資源が少なく、輸出できるものは工業製品や農産物です(アニメもありますが)。しかし、ヨウ素に関しては、地下鹹水からヨウ化ナトリウム、ヨウ化カリウム、および単体ヨウ素などが生産され輸出され、世界の約30%を日本国内で生産しています。つまり、今日、ヨウ素の世界生産量は年間約31,000トンであり、内訳はチリが年間約20,000トンの生産で第1位、日本は年間約9,400トンの生産で第2位であり(2018年)、両国で世界の約95%を生産しています。国内ではヨウ素製品が千葉県で約90%、新潟県で約8%生産されています。国内では鹹水に含まれるヨウ化ナトリウムから種々のヨウ素製品が生産されています。一方、チリではチリ硝石に含まれているため、ヨウ素酸化物の還元的処理を経てヨウ素製品が生産されています。つまり、国内の鹹水にはヨウ素がヨウ化ナトリウム などの陰イオン(酸化数が-1)として含まれているのに対して、酸化的性質を有するチリ硝石(主にNaNO3)にはヨウ素がヨウ素酸化物(主にヨウ素酸塩で酸化数が+5)で含まれています(ヨウ素を約1%含有)。

日本人が生体微量必須元素であるヨウ素を意識的に摂取しないのは、大方の日本人がワカメや昆布(500 ppm~8000 ppmのヨウ化ナトリウムを含む)を日常的に、みそ汁やサラダなどで食べているためです。

ただ、ヨウ素(127I:自然界に存在する安定ヨウ素)が生体微量必須元素であるがため、2011年3月の東京電力・福島第一原子力発電所事故のときに大きな不幸が生じました。原子炉から放出された種々の放射性元素の中に、放射性ヨウ素(131I:自然界に存在しない不安定ヨウ素で放射線を放出) が含まれていたためです。そのため、福島第一原発近隣の住民には安定ヨウ素であるヨウ化カリウム(K127I)が安定ヨウ素剤として配布され、速やかな服用を促されました 。

千葉県内の地下鹹水にヨウ化ナトリウムが高い濃度で含まれていることは、浅瀬に昆布やワカメが生息繁殖し、それらの死骸が長い年月をかけた太平洋プテート移動で地下に沈み込むのと密接に関係しています。つまり、地下に沈み込んだ昆布やワカメの死骸をメタン発生菌のような嫌気性微生物が食べて消化し、メタンを生成するとともに、昆布やワカメに濃縮されていたヨウ化ナトリウムなどが放出されるため、メタンとヨウ化ナトリウムなどが高濃度で含まれる鹹水となっています。

ヨウ素は生体微量必須元素であるとともに、種々のヨウ素化合物が、イソジンなどのうがい薬、血流検査のX線造影剤、木材や化粧品などの環境消毒剤、テレビやスマホ画面の偏向フィルム、機能性高分子合成の材料など、私たちの生活の身近で広く利用されています。これはヨウ素化合物の毒性が少ないことが反映しています。

今後も、日本産のヨウ素を用いて、新たな機能性ヨウ素化合物や医薬を、日本発で開発し、安心と安全、及び豊かな社会へ、化学を通じて貢献していく必要があります。

先生の研究に挑戦しよう!

花の3大色素も有機化合物です。紅葉の色の変化も、有機化合物によるものです。われわれの体も有機化合物です。赤ワインや緑茶に抗酸化機能があるのも、有機化合物によるものです。接着剤も、手術後に約2週間で溶けてしまう縫合糸もそうです。私たちの身の回りのあらゆる物が有機化学の研究対象です。

一方、千葉県は世界的なヨウ素生産拠点です。ヨウ素は遷移金属のような酸化的性質をもち、酸化還元反応が生じ易い元素です。ヨウ素は生体微量必須元素です。この毒性の低いヨウ素の特性を活かして、新しい有機反応開発や、医薬・農薬あるいは機能材料等の有用化合物の、環境負荷の少ない効率的合成法を開発していきましょう。

興味がわいたら~先生おすすめ本

基礎有機化学 身近な有機化合物を中心に 

東郷秀雄(東京化学同人)

染料、香料、花の色、紅葉、酸化防止剤、吸水ポリマー、そして液晶や医薬品などに有機化学が深く関わっています。有機化学を理解すれば、我々の身の回りのほとんどの現象を理解できます。余暇の勉強は身の回りの有機化合物を扱う本を薦めます。この本は私が執筆し、大学1年生の講義で利用しており、これを読むのも良いかと思います。


有機合成のためのフリーラジカル反応

東郷秀雄(丸善出版)

私が専門とする分野で、フリーラジカルの専門書です。フリーラジカルは有機化学の専門家でも嫌う人が多いです。その理由はフリーラジカルの有機反応が複雑だからです。でも、この1章だけは、皆さんに役立つと思います。メタンと塩素ガスの混合物に光を照射すると、クロロホルムや四塩化炭素を生じるのはなぜか、酸素分子がヘモグロビンのヘム鉄に結合したり、離れたりするのはなぜか、ワインや緑茶に抗酸化作用があるのはなぜか、包装した饅頭等の食品にフェノール誘導体が添加されているのはなぜか、などの答えがわかります。機会がありましたら、「書店で立ち読み」してください。


有機ヨウ素化学

東郷秀雄(化学同人)

日本が世界に誇るヨウ素に関して、ヨウ素の生産、ヨウ素化合物の合成、およびヨウ素化合物の有機合成化学的利用に関して、最新の知見も含めて系統的に纏めた「有機ヨウ素化学」を2025年4月に刊行しました。本書は研究者や大学院生が対象ですが、第1章は日本国内でのヨウ素生産、及び人々の生活とヨウ素との関わりについて記載しています。機会がありましたら、図書館などで気分転換に読んでみてください。



みらいぶっくへ ようこそ ふとした本との出会いやあなたの関心から学問・大学をみつけるサイトです。
TOPページへ