走る人は「ランナー」、漫画を描く人は「漫画家」、俳句を書く人はなんと呼ばれるでしょう。
ハイジンです。 廃人ではなくて、俳人。
しかし、俳句を書けばそれだけお金がもらえる、というのは、なかなか難しい。
そもそも小説家がお金を稼げるのは小説が売れるからで、俳人が書いたものでお金を稼ぐには、俳句が売れなきゃいけないですからね。ちなみに、俳句の作品を載せた本は「句集」といいます。
じゃ、句集ってどこで買えるの?
大きな本屋さんに行ってみましょう。「詩歌コーナー」「俳句・短歌コーナー」ここにあります。
松尾芭蕉、種田山頭火、金子兜太……
前回ご紹介した私の句集『君に目があり見開かれ』『海藻標本』が置いてある本屋さんも、たまーにあります
でも、句集は、そんなに売れません。
だって皆さん、漫画は買ったことあっても、句集を買ったこと、ないでしょう?
その存在すら知らない人も多かったはず。そんなことでは売れるはずがありません。又吉直樹『火花』の200万部突破に対して、私の第二句集はようやく1000部突破です(これでも、句集の中では売れている方らしい)。
じゃあ、俳人はどうやって生きていくのか。銀行員兼俳人、教員兼俳人のように、俳句以外の仕事をしている人が多いですね。俳句だけで生活しているのは、ごく一部の俳人だけです。
ところで、書店の俳句コーナーに行くと、ちょっと異様な空気に気づく人もいるはずです。そう、この棚、句集ではなく「俳句入門書」であふれています。字がデカい!
なぜかというと、老眼の人に読みやすいように、ですね。
そうです。皆さんのイメージどおり! 俳句は「老後の趣味」に選ばれることが多い。俳句って、「読みたい人」よりも「つくりたい人」が断然多いのです。
だから、「私が書いた俳句を読んでください」と句集を差し出すよりも、「あなたの俳句、添削してあげますよ」と先生になる方が、需要がある。というわけで私も例に漏れず、ほとんどの方が自分より30歳以上年上の句会の先生をやったりすることもあります。
でも、できれば私たちは、若い人に俳句に触れてほしい。
「お稽古事」としての俳句じゃなくて、「おもしろいもの」としての俳句を知ってほしい。
なので、若い人の運営するイベントスベースでUstream配信したり、
高校生に俳句を教えに行ったり、
小学校の先生たちに、俳句の教え方を教えに行ったり、
歌人の東直子さんとトークをしたり、
現在は、若い人でも楽しめる、俳句の本をつくろうとがんばっています!
句集が売れた方がいいか、売れない方がいいか、という問題は、そりゃ出した本人としては、できれば買ってほしいですけど、そのためには少し、俳句をめぐる環境を変えないといけないかなと思っています。
俳句をやっているおじさんの中には、「別に俳句を広めたりしなくていい、わかる人だけわかればいい。句集なんてもともと売れないものなんだから、売れるための努力するなんて恥ずかしい」と言う人もいます。でもね、そんなおじさんだけのものにしておくのはもったいないくらい、俳句はけっこう面白いと、私は思うんですよ。
私の理想は、音楽が好きな子が吹奏楽部に入り、スポーツの好きな子が野球部に入るように、言葉の好きな子が俳句部に入るくらいの、カジュアルな選択肢のひとつとして、俳句があればいいなと思うんです。そして、「最近、俳句読んでるんだけどさ」って言ったときに「かっこいいなお前!」って言われるように、なんとかならないかなと。
秋の壁白ければ目で鳥を描く 富澤赤黄男
あえて句の内容の説明はしませんが、私はこの句をはじめて見たときからかっこいいと思っていて、それは音楽で言えば、くるりの「街」やキリンジの「雨は毛布のように」がかっこいい、というのとほとんど変わらない。だから私は、若い人が見て「あ、いいな」と思える句が、若い人たちの近くにあるような、そんな世界をつくるところまでいきたいのです。
というわけで、他のジャンルで何が面白いか、何がかっこいいかに、敏感でいたいと思っています。あと、ちょっとは、自分のオシャレにも気をつかうようになりました。
俳人・佐藤文香さんが大学の先生にインタビュー。俳都・松山で「俳句学」の授業を受け持つ新鋭の俳句研究者、青木亮人先生に伺いました。
「エヴァンゲリオン」が登場する俳句の授業って?
~高校時代、大学時代のディープな趣味も研究につながっている
青木亮人先生 愛媛大学 教育学部 国語教育専攻