戦後沖縄の再建を担った引揚者の姿を明らかに
悲惨なイメージがある「引揚者」
「引揚者」とは、日本帝国の圏内だった満洲、台湾、フィリピン、旧南洋群島などから、敗戦によって日本に戻ってきた人たちです。飢えと寒さ、ソ連兵の襲撃にさらされた、満洲開拓団の悲惨な経験が有名です。「引揚者」というと、身ひとつで逃げのびた人というイメージがありました。
沖縄では「引揚エリート」が活躍
でも、沖縄は違うのです。戦後、沖縄県の初代知事となった屋良朝苗は、台湾引揚者です。他にも医師、弁護士、教師、公務員など、社会の中・上層を占めた引揚者がたくさんいました。
引揚者=戦争犠牲者というイメージだけでいいのか。なぜ沖縄はこうなったのか。既存の「引揚」像を、改めて問い直す。そこに、沖縄という地域性を掛け合わせる。「引揚」の再構築×沖縄⇒「引揚エリート」研究のスタートとなりました。
沖縄の事例は普遍的な現象
この研究は、沖縄を事例として、戦後社会の再建を担ってきた引揚者の姿を明らかにします。また<引揚>という視点から、戦後の沖縄社会をとらえ直します。
ただし、沖縄にこだわることが目的ではありません。沖縄という事例は、「引揚エリート」の活躍が非常に見えやすいから取り上げるのです。沖縄で見いだされつつある、戦後社会を担った引揚者たちの姿は、沖縄の外でも見いだせる、普遍性のある現象だと考えています。
かつて起こったできごと、それ自体は不変です。しかし、その意味は、刻々と変化していきます。過去と現在とのつながりは、未来への道のりをも照らし出していくのです。
新型肺炎の大流行によって最も深刻な打撃を受けている人びとに、移民、移住労働者、難民がいます。これらの「移動する人びと」を不利な立場に置いたままでは、いかなる社会も持続可能な発展を遂げることはできません。
引揚研究は、帝国崩壊という社会変動と「ひとの移動」の関連を明らかにします。それは、現代の社会変動と「ひとの移動」の関連を捉えることに繋がり、「移動する人びと」の公平な処遇、能動的な社会参画をうながす社会の構築に貢献します。
◆先生が心がけていることは?
三千円以下の洋服は買わない。
「戦後沖縄社会の再建と「引揚げエリート」―台湾・満洲の「専門職引揚者」を中心に」
◆主な業種
(1)コンサルタント・学術系研究所
(2)大学・短大・高専等、教育機関・研究機関
(3)官庁、自治体、公的法人、国際機関等
◆主な職種
(1)事業推進・企画、経営企画
(2)中学校・高校教員など
(3)大学等研究機関所属の教員・研究者
◆学んだことはどう生きる?
ある卒業生は、移動×まちづくりをキーワードに、フリーランスの都市プランナーとして、まちづくりワークショップの企画と実施、都市計画の批判的検証を行い、自治体の地域再開発プロジェクトなどに関与しています。モビリティという事象の創造性を、実践的にやってみせています。
沖縄で学ぶことには大きなアドバンテージがあると思います。極めてユニークで、同時に普遍的なのが「沖縄の独自性」なのです。交流協定を結んでいるハワイ大学などとの単位互換留学も、沖縄での学びを深め、相対化するために有効でしょう。台湾から飛行機で1時間足らずで、台湾人の留学生が多いことも魅力的です。
大学の特徴としては、地域に開かれたアクティブ・ラーニングを促していること、図書館がうまく学びをサポートしていること、学部としては、講座の枠で学生を縛らず、様々な専門領域の科目を専門科目として学べることが挙げられます。
Q1.18歳に戻って大学に入るなら何を学ぶ? 発酵生態学 |
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Q2.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? マレーシア。豊かでユニークな多民族社会だから。 |
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Q3.研究以外で楽しいことは? 『ローマ人の物語』全40巻一気読み。 |
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Q4.会ってみたい有名人は? ティベリウス |