不登校のまま、ひきこもりのままでいい
支援者や家族の不安は増えることはあっても減らない
僕はかつて、僕自身が不登校を経験したという理由もあって、今は大学で不登校やひきこもり、摂食障がいやリストカットといった問題行動を抱える人たちの支援について「嗜癖(しへき)行動学」という学問の視点から学生に教えている。
その他、不登校やひきこもりの子を抱えた家族を支援したり、不登校やひきこもりの支援をしている人たちのために講演をする仕事もしている。学生たちの中には、将来、学校の保健室の先生になって、不登校の子を支えたいと思っている人もいるし、保健所で保健師として働いて、ひきこもりを支援したいと思っている学生もいる。
それから、公認心理士(カウンセラー)になって不登校やひきこもりの人の相談に乗りたいと思っている学生もいる。あるいは、社会福祉士(ソーシャルワーカー)になって、ひきこもりを抱えた家族を支援したいと思っている学生もいる。
僕の大学の研究室には、不登校やひきこもりの子を抱えた親たちが、毎週のようにやって来る。親たちは、不登校になった自分の子どもがどうして不登校になったのかと僕に尋ねたりする。あるいは、ひきこもりを抱えた親は、ひきこもりになってもう何年にもなるけれど、これからどうしたらよいのかと、途方にくれた顔で僕にどうしたら良いかを尋ねる。
僕は、学生にも親たちにも、それから不登校やひきこもりの支援をする仕事をしている人たちにも、
「不登校の子はその必要があって学校に行けないのだし、ひきこもりの人は、その必要があって部屋にひきこもっている。」
という話をするのだけれど、それでも、学生たちは将来、自分が不登校やひきこもりの子を支援する仕事に就いた時、不登校の子を学校に行かせることができるだろうかと不安を抱えている。
また、親たちはどうやったら自分の子どもが学校に行けるだろうかとか、ひきこもりの子がどうやったら就職できるだろうかと、やっぱり不安をいっぱい抱えている。
支援の仕事をしている人たちも、もし、目の前の不登校の子の支援がうまくいかなかったら、そしてその子がひきこもりになってしまったらと心配しているし、ひきこもりの人が親を亡くして、ひとりぼっちになって孤独死したらどうしようと、やっぱり不安をいっぱい抱えている。
学生や親、それから支援の仕事をしている人たちの不安は増えることはあっても、なかなか減らないというのが僕の危機感だ。どうして、みんなの不安がどんどん増えてしまうのだろう。
学校に行ってほしい、就職してほしいという“本音”
ネットのニュースでは、不登校の児童生徒数が増えていると繰り返し報道されている。その数は増え続けて、全国で約16万人の小学生と中学生が不登校になっている(2019年現在)。
ひきこもりの数も増えていると繰り返し報道され続ける。その数は全国で約60万人を超える(内閣府2018年調査)。だから「どうにかしなくちゃいけない」と、政治家たちも、世の中の大人たちも口を揃えて言う。
でも、政治家や大人たちが提示するメニューは、不登校の子がフリースクールに行けるようにお金を出して援助しようとか、ひきこもりになった人たちが、就職できるように就職支援しようという、とても少ないメニューばかりだ。
つまり、多くの大人たちは、不登校はどんな形であれ、家を出てどこかの学校に行くべきだと思っているし、ひきこもりも家を出て、会社に就職し給料を得るべきだと信じ込んでいる。そんな情報ばかりインターネットやテレビに流れるから、不登校の子を抱えた親も、ひきこもりを抱えた親も安心していられなくなる。
「このままじゃヤバイ」と焦った親たちの中には、子どもを引きずって学校に連れて行こうとする親もいるし。あるいは、必死になって家の近くでフリースクールを探しまくる親もいる。
ひきこもりを抱えた親も、いろいろな事件のニュースに刺激を受けて、それまで何年も口にしていなかったのに、突然、「ハローワークに(職を探しに)行って欲しい」と子どもに言い出す始末だ。
世の中の政治家を含めた大人たちの“本音”は、「不登校の子たちをそのままにしておいたら、やがてひきこもりになるし、ひきこもりになった人たちの親が亡くなって、親の年金もなくなったら、生活保護で支援しないといけない。それでは、お金がかかるから困る」というものだ。
世の中で、就労して自分がしっかり納税していると思っている大人たちの中には、生産性のない人、つまり働かない人、納税しない人に生活保護でタダ飯を食べさせるなんてずるいと言う人も多い。
そこまでひどい言い方をしない大人でも、もし、ひきこもりの親が亡くなってしまったら、そのまま社会につながることができず、孤独死したら大変だと口にする。でも、実のところそんな大人の本音は、もしも、ひきこもりを孤独死させたら、自分たちの無能さを曝け出すようで、とても恥ずかしいというものだ。
だから結局のところ、世の中の大人たちは、不登校の人は閉じこもっている部屋を出て、家も出て、やっぱりどこか学校のようなところに行って欲しいと思っているし、ひきこもりの人は、閉じこもっている部屋を出て、家も出て、どこかの会社に就職して給料を得て欲しいと思っている。
部屋の外が「安全」と思えれば出られる
マズローというアメリカの心理学者は、“人間の5つの欲求”というのを私たちに教えてくれている。
人には、欲求が5つあって、最初の欲求は、お腹が空いたらご飯を食べたいということ。2番目の欲求は、誰も自分を攻撃しない、いじめられたりしない安全な居場所が欲しいということ。3番目の欲求は、誰か他の人とつながって自分の存在を知ってもらいたいということ。4番目の欲求は、誰かに自分を認めてもらって、「いいね」が欲しいということ。
最後の5番目の欲求は、自分もあんな人になりたいという夢を持つこと。5番目の欲求段階に至るまでには、1番から4番の欲求のどれかが1つ欠けていてもいけない。
だから、自分の部屋だけが安全な場所になっている不登校やひきこもりの人は、1番目の欲求である食欲が満たされても、2番目の欲求の“安全な居場所”は自分の部屋だけ、部屋の外は怖いから、その部屋から出られない。
つまり、不登校やひきこもりの人たちにとって、閉じこもっている部屋の外が安全な場所なら、そこから出ることができる。でも、多くの不登校の子やひきこもりの人たちにとって、閉じこもっている部屋の外には危険がいっぱいだ。
閉じこもっている部屋の外で、お父さんがいつも大声でお母さんを怒鳴りつけていたら、安心して、自分の部屋から出られるだろうか。自分も怒鳴られるかと思うかもしれないし、怒鳴られているお母さんを守ってあげられない自分が無力で情けないと思うかもしれない。
閉じこもっている家で、お母さんがいつも寂しそうにしていたら、安心して学校に出かけたり、外出したりできるだろうか。学校に出かけている間に、お母さんがいなくなってしまうと思ったら、とても家の外には出かけられない。
閉じこもっている部屋にいても、テレビやインターネットでは、不登校のフリースクールの情報や、ひきこもりの就労支援の情報も飛び込んでくる。それは、学校に行かないことは良くないことで、学校に行くべきだと言っているように聞こえるし、ひきこもりはいけないことで、働くべきだとどうしても言っているように聞こえる。閉じこもっている部屋ですら、マズロー流に言えば、完全に安心できる場所ではない。
いつも、大人はみんな“多様性”が重要だと言うけれど、肝心な事が抜けている。多様性が重要なら「不登校は不登校のままでもいいし、ひきこもりはひきもりのままでもいい」と、世の中の大人たちは誰も言っていないような気がする。これではいけないと僕はとても反省している。
不登校の子が学校に行くことは、ゴールではないし、ひきこもりの人が働くようになるのはゴールではない。大切なことは、1秒でも長く生き延びることだ。できれば笑顔で。
マズローの欲求に基づけば、不登校やひきこもりの子が閉じこもっている部屋を安心して飛び出すためには、部屋の外である家の中を安心できる場所にしなければいけないし、家の外の社会を彼らにとって安心できる場所にしなければいけない。
そのために、まずは親が、自分の子が部屋に引きこもらざるを得ない現状を心から肯定して、受け入れてあげることが最初のステップとしてとても重要だ。
それに、不登校やひきこもり子を抱えた親が、部屋に閉じこもっている子の現状を心から肯定するには、社会の大人たちは、親の不安やどうにもできない現状をそのまま受け入れて肯定してあげることがとても重要だ。
不登校の子が登校できるようになること、ひきこもりが就労できるように環境を整えるという目標を掲げることは、悪いことではない。
でも目標を掲げると、登校できない子やその親、就労していないひきこもりやその親は、どうしても現状を否定されたように思ってしまう。現状を否定されると、そこから先もきっと否定され続けるだろうと不安がどんどん増してしまう。
子どもをではなく、親が自分を変える手法
僕の研究は、「嗜癖行動学」という視点から、不登校やひきこもりの子を抱えた親が、子どもを変えるのではなく、自分を変えるための手法に力点を置いたものだ。また、不登校やひきこもりの支援をしている援助職の人たちにもこの手法を活用してもらいたいと思っている。
不登校やひきこもりという言葉を聞くと、どうしても「登校させなければ」「就労させなければ」と考えて不安になってしまう援助職者の不安も解消するのがこの研究の目的でもある。
もう一度言いたい。
「不登校は不登校のままでもいいし、ひきこもりはひきもりのままでもいい。困難な時代だから、大切なことは1秒でも長く生き延びること。できれば笑顔で。」
薬物乱用という問題は多くの国がそれを犯罪として扱ってきました。しかし、薬物への嗜癖者を刑務所に閉じ込めておくだけでは回復不可能であると、先進的な取り組みをしている国(ポルトガル等)は気づき始めています。薬物への嗜癖を犯罪としてではなく病気として捉え、必要な治療環境を整備することは、この問題を抱えた当事者だけでなく、その家族や子どもたちにとっても重要なことです。
「不登校・ひきこもり当事者家族に変化を促す支援者のためのフローチェックリストの研究」
斎藤学
家族機能研究所
機能不全家族への家族療法、精神分析、研究者としての専門家(精神科医)。依存症という概念を作った人です。高校生の時に、著書『嗜癖行動と家族』(有斐閣)を読んで、コレだ!と思いました。
友田明美
福井大学 こどものこころの発達研究センター/大阪大学大学院 連合小児発達学研究科 小児発達学専攻
子どもの外傷体験を脳の分析をすることで、見える化した研究者。心の傷は目に見えないものだと思い込んでいましたが、はっきりと脳に傷がついている様を誰にでもわかりやすく紹介しています。まさに、市民のための仕事をしている研究者です。
斎藤環
筑波大学 医学群 医学類/人間総合科学研究科 ヒューマン・ケア科学専攻
「社会的ひきこもり」という言葉を世に送り出した人。ひきこもりについて、ほとんどの人が気付いていなかった90年代末に「ひきこもり」という名称を付けたことで、市民がひきこもりについて気付くきっかけを作った人です。社会を斜め45度から捉えた環流の評論は、読むのに時間がかかるけれど、あっ!という発見をしてしまった瞬間から、パラレルワールドに入ってしまった気分になってしまいます。
◆「嗜癖行動学ゼミ」では
嗜癖行動は私たち自身が普段の日常生活の中で行っている行動であることから、自分観察、自分史を紐解くことを推奨しています。とはいえ、自分自身というのはなかなか発見しにくいのも確かですから、映画を観るように推奨しています。映画の中に“こんな自分”を発見しましたという話から、ゼミが展開されていくこともあります。
◆主な業職種
(1)病院・医療(看護師)
(2)小・中学校、高等学校など(養護教諭)
(3)福祉・介護(ケアマネージャー)
◆学んだことはどう生きる?
精神科の看護師として勤務している卒業生は、アルコール依存症やギャンブル依存症の治療に関わっています。嗜癖行動学は、その嗜癖行動だけを焦点化するのではなく、患者の成育歴や家族関係、職場での人間関係までを幅広く捉える学問ですから、このゼミで学んだ視点を活かしながら、臨床現場で活躍しています。
高齢者の居宅介護支援事業所を経営している卒業生は、その地域の実情を的確に把握しながら、生徒数が少ない小学校と共同で行事を実施したり、介護を必要としない高齢者に事業所の運営を手伝ってもらったりしています。今は、ひきこもりの人にも住み込みで事業運営に参加してもらえる仕組みを模索しているところです。
看護師、保健師、養護教諭になりたいという学生が学んでいます。特に、不登校・ひきこもりについては、キャンパス内に不登校・ひきこもりサポートセンターという施設があり、大学の近隣で小学校や中学校に行くことができない子どもたちやその家族を支援しています。
学生には、このサポートセンターで学生ボランティアとして活躍してもらっています。将来、保健室の先生(養護教諭)になりたいという学生や、保健師として地域住民の困難な状況を支援したい学生は、このサポートセンターで実践を経験できます。
また、精神科の看護師として働きたい、あるいは慢性疾患(糖尿病など)の患者や、その家族を支える看護師になりたいという学生の中には、私が担当する「現代社会と嗜癖」の講義を受講している学生も多いです。患者の困った行動を嗜癖行動として捉え、患者本人を変えるのではなく、患者への関わり方や家族への関わり方を学んでいる学生が多くいます。
ロケットマン(映画)
デクスター・フレッチャー(監督)
イギリスのミュージシャン、エルトン・ジョンの半生を描いた映画作品です。幼い頃のジョンは私たちと同じで、悲しいときはお母さんに抱きしめられたかったし、頑張ったときはお父さんに認めてもらいたかった。だけど、お母さんはジョンを愛するよりも、他の男性に愛されたいし、お父さんはジョンと遊ぶより、仕事を通じて職場で認められたくて、家ではジョンはいつも独りぼっち。
音楽を通じて、ジョンは世界中の人が称賛するミュージシャンになれたけれど、心の中ではいつも独りぼっち。やがて彼は、その孤独を癒すためにお酒やドラッグに溺れて自暴自棄になっていく。
嗜癖行動は、お酒が止められなくなったり、違法薬物を摂取して快感を得たりする行動のことですが、嗜癖行動から抜け出せなくなって生活している人の多くは、ジョンのように幼少期の外傷体験(トラウマ)に原因があるということがわかってきています。どうしたらそのような幼少時代のトラウマを癒すことができるのかについても、映画では紹介されています。
嗜癖行動はすべての人に関係する行動です。苦しい時や不安な時、その辛さや不安を解消するための行動です。つらい時、中にはジョンのように、音楽に酔いしれる人もいるでしょう。あるいは、ジョギングのような運動をして不安を解消する人もいます。
嗜癖行動はその人がその環境に適応して生き延びていくための知恵とも言えます。その人の嗜癖行動を善悪で判断するのではなく、その人の成育歴や家族関係、生活している社会環境に目を向けて、その人が取っている行動を嗜癖行動として捉え直すと、その人の生きづらさや苦悩がはっきりと見えてきます。
そうすれば、単純にその人の嗜癖行動(お酒やドラッグなど)を取り上げるのではなく、その人の苦痛をありのまま認めてあげること、その人のありのままを受け入れることが最大の支援になることに気づくことができるでしょう。
Q1.18歳に戻って大学に入るなら何を学ぶ? 嗜癖行動学 |
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Q2.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? 米国ハワイ。ハワイ大学に留学したかったから。 |
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Q3.一番聴いている音楽アーティストは? 福山雅治。『何度でも花が咲くように私を生きよう』が好きです。 |
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Q4.大学時代のアルバイトでユニークだったものは? 居酒屋で調理から、接客、店の準備すべてをこなしたこと。 |
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Q5.研究以外で楽しいことは? キャンプ |