哲学史の盲点=患者や子どもにスポットを当てて
患者や子どもの存在は、哲学史では軽視されてきた
私の研究分野は、一般的には「哲学」と呼ばれている研究分野です。その歴史は2500年以上と、どの学問分野よりも長いです。しかし、長く続く歴史には、見過ごされてきたものも多々あるものです。その代表例が、〈患者〉と〈子ども〉でした。
どんな人間にも幼年時代があり、病にかかったことのない人間などいないはずです。しかし残念ながら、患者や子どもの思考や行動は、哲学史の中で肯定的に扱われてはきませんでした。
共生が重視される現代、「哲学史の盲点」に脚光
〈真〉・〈善〉・〈美〉が哲学のメインテーマですので、そこからかけ離れたように見える患者や子どもが、これまで扱われてこなかったのは仕方のないことだったのでしょう。しかしながら、現代は、異なる人々との共存が何よりも重視される時代です。こうした観点から、哲学史の盲点にある種の可能性を見出したのが、現象学と呼ばれる思想を研究する哲学者たちでした。
メルロ=ポンティの視点に学ぶ
私は、モーリス・メルロ=ポンティ(1908-1961年)という20世紀のフランスを代表する現象学者の思想を主に研究しながら、上記の問題を考察しています。一見すると狂気に陥ったようにしか見えない〈患者〉にも、健常者には気づかない独自の行動の構造が備わっています。一見すると未熟な〈子ども〉の思考や遊びにも、よく観察すれば、大人の世界を考え直す材料が多々確認されます。
メルロ=ポンティはだいたいこんな感じのことを言っています。そして哲学における人間理解の拡張と人々の共生の条件を探求し続けました。大人になると、どうしても健全で成熟した視点からものごとを考えがちです。こうした哲学の文法を、未熟(子ども)ないし非健常(病)な主体にまで拡張することで、世の中の人間観をより開放的な方向に変えることが、私の研究の目的です。
この研究は決して、私ひとりが行っているものではありません。現象学は西ヨーロッパだけでなく、南北アメリカやアジアでも盛んに研究されています。各大陸の研究者たちと上記の同じ目標を共有しながら、私は研究を進めています。
「欠如的アプローチを超える身体理論の研究:現代フランス現象学運動を中心として」
Marc Richir(故人)
Fonds National de la Recherche Scientifique
人間の経験構造を、哲学だけでなく、さまざまな人間科学の枠組みで考察し、独創的な人間学を構築した研究者です。私の師匠でもあり、哲学書を厳密に読解しながらも、そこから新しい可能性を引き出す授業に感銘を受けました。
Q1.18歳に戻って大学に入るなら何を学ぶ? 考古学。高校生の頃はこれが勉強したかったです。 |
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Q2.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? スペイン。文化の重層性を感じられるから。また、サッカーを1シーズンかけて見たいから。 |
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Q3.感動した映画は?印象に残っている映画は? 『アンダーグラウンド』(エミール・クストリッツァ監督) |
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Q4.研究以外で楽しいことは? 北アルプス登山 |