日本憲法史
大石眞(講談社学術文庫)
この本は、近代以降の日本において実質的意味の憲法がどのように成長してきたかを論じています。特に大日本帝国憲法の誕生と終滅に頁が割かれています。大日本帝国憲法は、起草者たち、それに反対の論陣を張る者たちの長年にわたる苦闘の成果として産まれたものです。かれらは日本に憲政を根付かせようとの熱い思いを抱き、謙虚に外国法に学びつつ、理を尽くして互いを説得しようと努めていました。また憲政の成長を後世に託してもいました。にもかかわらず遵守されなくなったのでした。この本はそうした先人の足跡を丹念に描き出すものであり、憲法や憲政に対するわたくしたちの態度を省みるきっかけを与えてくれるでしょう。
憲法における信教の自由を問う
スマホ通知の返信を「待てない」私たち
今や死語となってしまったけれど、昔の人はこう言ったものでした。「お天道様は見ている」と。あなたの身近に「お天道様」はいますか。
友だちからスマホで通知が来たら、すぐに返信しなくてはいけない。そういう風に、常日頃から何かに急き立てられていますね。現代社会は快適で便利な物に溢れているけれど、現代社会の仕組みは、その反面で、私たちを「待つ」ことができない生き物へと作り変えてしまっています。
憲法学は現代社会の病癖に対応できるか
こうなると、「他人の目」だけが幅を利かせるようになります。そこで失われるのは「お天道様」の存在です。「他人の目」を俯瞰する存在が消えてしまうのです。
憲法学はこうした現代社会特有の病弊に対応できていないのではないか、もしそうだとすると、信教の自由論をどう組み立て直せば良いかを問うのが、私の研究です。
私たちは、つい「他人の目」を気にしがちで、ともすればそれのみに従って日々を送っていますね。皆さんは「それの何がいけないんだ」と気色ばんで言うことでしょう。
信教の自由を組み立て直す
しかし、「他人の目」だけを意識しているその時、「あなた」はどこに「います」か。そこに「他者」は「います」か。そしてそこに、本当の意味での「創造」はあるのでしょうか。
「お天道様」がいないその時、実は当の「あなた」はいないのです。私は、信教の自由論を組み立て直すことを通じて、私たちが「地に足のついた」存在となる一助となればと思い、研究を進めています。
「具体的事案における信教の自由の内実の認定手法――日英比較法的アプローチ」
◆内野先生の紹介(最下部に掲載されています)
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