実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル・サンデル(ハヤカワ文庫NF)
ハーバード大学の有名教授で、共同体論・市民的共和主義の哲学者として知られるマイケル・サンデル先生が、メリトクラシー(能力主義)の問題について論じている本です。
サンデル先生は、アメリカにおけるドナルド・トランプ大統領の台頭について、それを単に差別主義・排外主義や、グローバリゼーションの中での労働者の経済的不安に求める言説とは袂を分かち、その原因が、これまでリベラルなエリートが推進してきた<テクノクラート的な公益の構想>と<能力主義的な勝者と敗者の定義>によって、低賃金・低学歴の白人労働者の尊厳・社会的な敬意が蝕まれてきたことにあるのだ(それゆえ、彼らのやり場のない怒りがトランプ大統領の当選のようなポピュリスト的なナショナリズムへと向かったのだ)、と分析しています。そしてそれに対する処方箋としてサンデル先生は、頭脳労働以外の労働を<共同体の共通善に貢献するもの>として社会が承認すべきことを唱え、そのための具体的な方法として、大学のくじ引き入試や技術・職業訓練への支援の拡大などを提唱しています。
私が専門とする法哲学では、「法とはいかなる内容であるべきか?」に関わる正義論が大きな領域をなしています。ハーバード大学で「正義(Justice)」をテーマとする名物講義を毎年行っているサンデル先生は、本書でもロールズの正義論や運の平等主義といったさまざまな正義理論を扱っており、私の研究分野とも重なります。
また、低賃金・低学歴の白人労働者の尊厳を蝕む<屈辱の政治>への批判的な視座の根底には、反差別を唱えてきたリベラルが、黒人・女性・同性愛者といったマイノリティの苦境には寄り添う一方で、低学歴の白人男性労働者のそれに対しては無視・矮小化してきたという、ある種のダブル・スタンダードへの問題意識があります。この点はアファーマティブ・アクションをどう評価するかを考える上でも重要です。
もちろん本書の内容は極めて論争的であり、賛同できない点もあると思います。是非皆さん自身で手に取って、自分だったらどう考えるのか、思索に耽ってみてください。
個人の尊重を重視し、いかにして差別是正措置を正当化するか
黒人の受験生を有利に扱う差別是正措置
日本国憲法14条には、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と書かれています。私たち人類の歴史は<差別の歴史>でした。黒人を奴隷にしたり、女性に選挙権や教育を受ける権利を与えなかったり、同性愛を罪として罰したり、枚挙に暇がありません。このようなマイノリティ、弱者とされる人々(以下単に「マイノリティ」と記します)に対する不利な扱いが許されないことについては、我々の社会においておおむね合意があると思われます。
では、そうしたマイノリティを、彼らが排除されてきた社会の領域において、その数を増やすためにあえて有利に扱うことについてはどう評価すべきでしょうか。これらは「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」と呼ばれ、現に奴隷制の歴史があるアメリカでは、大学入試などで黒人の受験者を有利に扱う措置が行われてきました。日本でも、理工系学部においていわゆる「女子枠」を導入する大学が増えてきています。
<個人の尊重> vs. <集団間の力関係の不均衡>
こうした措置をめぐっては賛否両論があり、賛成派は過去の差別の補償や多様性の確保などを理由に、反対派は逆差別やマイノリティへのスティグマなどを理由に、それぞれ議論を戦わせてきました。
両者の対立図式として従来から言われてきたのが、反対派は<個人の尊重>に重きを置くため、「人種や性別のような本人が選択したわけでない属性ではなく、個人の実力で決めるべき」と考えるのに対して、賛成派は黒人や女性が集団として白人や男性に従属しているので、そうした<集団間の力関係の不均衡>を正すためにマイノリティへの優先措置が必要と考える、というものです。ですが私は、アファーマティブ・アクション論争にはそうした対立図式で汲みつくされない契機があるのではと思っています。
単純な対立軸ではこぼれ落ちる存在
一方で、集団それ自体に重きを置く議論は、ややもすればわれわれの社会を「白人対黒人」「男性対女性」といった単純で一枚岩な権力関係で描くことで、マジョリティ・マイノリティそれぞれの内部での強者や弱者(いわゆる「プアーホワイト」や「弱者男性」)の存在を不可視化しかねません。
他方で個人の尊重から必ずしもすべてのアファーマティブ・アクションが否定されるわけではないようにも思えます。たとえば、「われわれ全員が現に個人として尊重されるような社会を実現するためにこそ、集団へのステレオタイプを生み出すマイリティの過少代表を解消する措置が正当化される」と論じる余地もあるかもしれないからです。
どこまで許されて、どこからが許されないのか
われわれのリベラルな社会が前提とする個人の尊重という価値から、いかにしてアファーマティブ・アクションを正当化することができるのか。どこまでの措置であれば許されて、どこからが許されないのか。そうした集団でなく個人の価値に訴えることで、マイノリティのみならずマジョリティ内部の弱者の生きづらさの解消にも目を向けることができるのではないか――そうした問題意識から私は研究に取り組んでいます。
もともとは弁護士を目指して法学部に入学したのですが、学部3年生で受講した法哲学のゼミで、『正義論(A Theory of Justice)』で有名なジョン・ロールズの理論を検討する論文集を講読したのが、法哲学――とりわけその中でも平等や差別の理論――の研究を志すに至ったきっかけです。
学部2年生の時にジェンダー論の講義にも出席していたので、<理に適った実質的平等>と<不合理な逆差別>をどう区別するかという問題意識は、研究者になる前から持ち続けていました。
「個人としての尊重を基底にした積極的差別是正措置正当化論の法哲学的検討」
◆学んだことはどう生きる?
私のゼミ出身の卒業生には様々な進路選択をした人がいますが、大学院に進み法学研究者の道を選択した方もいます。分野は必ずしも私と同じ法哲学ではありませんが、多くの人々が「当たり前」と思っている前提をも徹底的に問い直す姿勢や、アファーマティブ・アクションなどのような賛否の分かれる問題について、自分自身の立場を首尾一貫した形で展開する姿勢などは、彼らの研究においても貫かれているように思われます。
北海道大学法学部には法哲学のほか、法社会学・比較法・法制史といった、法学の基礎をなす研究分野(「基礎法学」)の教授陣が充実しています。これらは法学のいかなる研究テーマを選択するにせよ、考察を深みのあるものにするための基礎的素養を提供してくれるものです。狭い専門分野に閉じこもらず、自らの研究内容や手法を異分野からの忌憚なき批判に晒すオープン・マインドネスを涵養し、分野の垣根を超えた交流を通じた知的刺激を得られることが、本学部の魅力だと思います。
アファーマティブ・アクションは主として、大学入試や雇用の場面で、人種的マイノリティや女性を対象に行われています。高等教育や会社の管理職などにおいてはそれらの人々の占める割合が少ないからです。他方で社会の領域にはむしろそういったマイノリティが「マジョリティ」になっているものもあります。
たとえば大学の家政学部、保育士や看護師などではむしろ女性の割合が多く、男性の方が少数者の立場に置かれていますが、男性保育士・看護師のロールモデルを形成するため、「男はケアには向かない」といったステレオタイプを解消するために、保育士や看護師などの採用の場面で男性を有利に扱うとしたら、アファーマティブ・アクションとして正当化されるでしょうか。通常のアファーマティブ・アクションをめぐってなされてきた賛成論・反対論をも踏まえつつ、考えてみてください。
差別感情の哲学
中島義道(講談社学術文庫)
カントの時間論で有名な哲学者である著者が、差別感情の問題についてさまざまな事例を用いながら考える本です。他者への否定的感情(嫌悪・軽蔑など)や自己への肯定的な感情(自尊心・帰属意識など)について、マジョリティによる差別だけでなく、逆差別の問題や「公認された被差別者」がかえって特権化される現象についても躊躇なく批判のメスを入れています。
差別の哲学についての入門書は他にも著されていますが、差別現象についての考察の広さと深さにおいて、「未だ本書の右に出るものはない」と言っても過言ではないと思います。人間の性(さが)についての鋭い洞察や、著者の独特の(毒気の強い(⁉))語り口に思わず引き込まれてしまいます。
| Q1.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? どれか一つに絞ることはできませんが、平和で、個人の権利や自由が保障されていて、兵役のない国がいいですね。 |
|
| Q2.学生時代に/最近、熱中したゲームは? 上の息子が4歳の時から、一緒にチェスの対局を続けています。 |
|
| Q3.大学時代の部活・サークルは? 社交ダンスのサークルに入っていました。 |
|
| Q4.研究以外で、今一番楽しいこと、興味を持ってしていることは? ティータイム |
|
| Q5.好きな言葉は? 「自分を大切にするから他人にも優しくなれるんだ。組織を優先して他人にクールになる奴よりマシだと思うが。」(ルパン三世TVスペシャル『ナポレオンの辞書を奪え』(1991年)の次元大介のセリフから) |

