自由の秩序 リベラリズムの法哲学講義
井上達夫(岩波現代文庫)
法哲学とは、法とは何か、法とは何であるべきかについて問う学問です。その根本問題といえるのが、自由とは何か、正義とは何かという問いです。この本は、日本における法哲学の第一人者である井上達夫が、こうした問いについて、具体例を交えてわかりやすい形で答えようとするものです。
自由や正義はどのように理解されるべきか、それを実現するための秩序はどのようにあるべきかというのは、誰かが絶対的な客観的真理を知っているというような性格の事柄ではなく、一人一人が他者との対話を通じながら見つけ出していかなければならないものです。
答えがないかもしれない。しかし答えがないことも、それ自体示されるべき答えでありうる。そのような問いがありうること、そしてそれに取り組むことに価値があることを、ぜひ学んでほしいと思います。
一方的な国家の樹立は認められるのか
国内的には、国家が成り立つ基盤は憲法
世界地図を広げてみましょう。多くの世界地図には国境が描かれています。そのどこかに日本という国があり、この文章を読んでいるみなさんのほとんどはそこで生活しています。
法の観点から眺めると、日本という国家が成り立つ基盤は日本国憲法にあります。
憲法とは、国民が自分たちの間で、自分たちのために、国家の統治体制を定めたものです。国民の目から見れば、国家というものは国民の意思を反映した憲法に基づいている限り、正しいもの、正統なものだと言えます。
もし勝手に国家を樹立し、憲法を定めたら?
では、例えば一つの村の人々が——ちょうど井上ひさしの小説『吉里吉里人』のように——一つの国家であると宣言して自分たちの憲法を定めたとしたら、それは正統なものと見なされるのでしょうか。
確かに、村人の意思を反映しているのであれば、その憲法は村人にとっては正統なものでしょう。しかし、村の外の人から見てもそうだとは限りません。
もし、一方的に作られた国家がいつでも正統だと見なされるのならば、人々は様々な理由から国家を樹立して、気に入らない人種や民族、宗教の人々を排除しようとするかもしれません。
国家の正しさは外からも判断しなければならない
そうなると、一方的な国家の樹立が道徳的に許されるべきか否か、正しくないとした場合にどのような制約があると考えるべきかについて議論する必要があります。
もう一度世界地図を見てみましょう。一つの国は他の国とともにあります。この単純な事実は、国家の正統性を外からも判断しなければならない理由を与えるのです。
SDGsの17の目標それぞれがどのように解釈されるべきか、互いの関係をどのように理解すべきか、通底する原理とは何かといったことは、すべて法哲学の問題となりえます。また、これらの目標が人間中心的なものではないか、反省的に捉え返すこともその射程に入ります。
「リベラルな国家の対外的正統性の規範的基礎」
法哲学は一つの大学にせいぜい一人しか専門家がいません。そして、「法哲学とは何かについての答えは学者の数だけある」と言われるように、法哲学は多様です。ですから、「どこで学ぶか」ではなく「誰に学ぶか」が鍵になります。他方で、法哲学者の間には共通の関心・共通の土台があるという面も見られます。似た分野としては政治哲学や倫理学がありますが、法哲学はあくまでも「法」という社会の秩序化のための道具に関心があるという点で、特色を持っています。「法とは何か」、「法とはいかにあるべきか」という問いが根底にあるのです。
法というものは危険な道具で、深く考えずに使ってはならないということ、知識をため込むのではなく、自分の頭で考え、人に伝わるように表現することが哲学であり学問だということを言っているつもりです。また、「H.L.A.ハートの『法の概念』を読まずに卒業したら、法学部生としてもぐりですよ」とも言っています。
◆学んだことはどう生きる?
法哲学を直接活かす職業に就くことは難しいと思います。これまでのゼミではグローバルな正義を題材に取り上げる機会が多かったのですが、多くの人は学んだことを問題関心として持ちながらも、一般企業に勤めています。ただ、中には国際協力を目的とした団体に勤めたり、一般企業に勤めながら青年海外協力隊のボランティアとして発展途上国に行ったりする人もいます。
Q1.日本以外の国で暮らすとしたらどこ? スイス。小さい頃に短期間住んでいたので。 |
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Q2.大学時代の部活・サークルは? ボート部 |
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Q3.大学時代のアルバイトでユニークだったものは? 浪人時代にプールのライフセーバーのアルバイトをしていました。 |
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Q4.研究以外で楽しいことは? 子育てでしょうか。 |