ある日、社会や政治のことを急に真剣に考えようと思ったとします。どうしますか。自分の思考と感性を信じて判断することは大事なことです。しかしどんなに頭がいい人でも、今の自分には限界があります。
私はマックス・ウェーバーという人―『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や『仕事〔職業〕としての政治』などの著作で知られているドイツの政治学者・社会学者です―が考えたことを手がかりにして、〈今〉を考えています。
「仕事」をする意味とか、政治家と官僚の関係とか、学問の「中立性」とか、資本主義を動かしているものとか、彼が考えていたことは、〈今〉を考える上でもヒントになります。
でも、100年も前の人なんか「時代遅れだ」と反論されるかもしれませんね。もちろん、そういうこともあります。しかし、この100年で何がなぜ変わったのかを考えることも、ウェーバーを経由して考えるべきことに含まれます。私は骨董趣味で100年前のドイツ人の本を読んでいるわけではありません。〈今〉をできるだけリアルにつかむために、こういう研究をしています。
「政治的中立性」って何だ?
学校で「偏った」ことを教えている先生がいると批判する人がいます。美術展やコンサートに参加するアーティストは「政治的」発言をすべきではないと主張する人もいます。
たしかに、「偏った」教育は困るし、プロパガンダ芸術というのもやめてほしいですね。しかし、「偏っている」と怒っている人は偏っていないのでしょうか。「政治的中立」が脅かされると危惧する人は、中立なんでしょうか。
マックス・ウェーバーは「価値自由」(value-free)という概念で、そんなことについて考察しています。この問題、近年の日本でますます大事になってきていると思いませんか?
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「18.社会・法・国際・経済」の「74.政治学・国際関係論」
一般的な傾向は?
●主な業種は→マスコミ、教員、IT関連企業など、いろいろです。
分野はどう活かされる?
アリストテレスは政治学を「マスター・サイエンス(諸学の王)」だと言いました。政治学の特徴は、様々な分野を多角的・総合的に考える点にあります。このため政治学は、特定の専門領域の仕事に直結するわけではありません。逆の言い方をすれば、公務員になっても民間企業に就職しても、または起業しても小説を書いても、そこで学んだことは活かせます。
成蹊大学法学部政治学科の特徴は、昔からずっと、少人数教育を大事にしていることです。1年から4年までゼミに参加できます。コロナ禍でオンライン講義が普及するなかで、それでも大学に残るのは、自分の言葉で話し、お互いの表情を見ながら率直に議論する「場」としての機能だと思います。
もう一つ、成蹊大学の政治学科の特徴は、歴史や思想など、「教養」教育を大事にしていることです。政治学科という看板を掲げていても、大学によってかなり傾向が異なります。例えば早稲田大学政治経済学部は計量分析などの分野に力を入れています(入試で数学が必須化されたのもそのためです)。どんな先生がどんな研究をしているのかをリサーチし、自分はどこに向いているのかを見極めるようにしてください。
今学期、3年生のゼミでモンテスキューの『ペルシア人の手紙』を読んでいます。ペルシアからパリに来た人の眼で、当時のフランスを考察した作品です。
「中」にいると当たり前のことでも、「外」から見るとおかしいことがよくあります。そして「外」を知ると、これまでのように「中」でくつろげなくなる。こうした経験は、政治学を学ぶうえでとても重要です。
政治学にとって大事なのは、他者を自分と同じようにさせることではなく、また自分を他者と同化させることでもなく、他者を理解し、そして他者に自分を開くための〈知〉だと思います。
よく新聞などでは「首相は……と主張、野党は批判」などの見出しが出ます。そういうものを読むと、なんか他人事のように思えてしまいます。でも、あなたは政治という劇場の観客ではなく、アクターです。あなたの考えや投票行動が変われば、社会は変わります。
原発政策でも、消費税でも、高等教育の無償化でも、日本学術会議の任命拒否問題でも、意見が分かれている問題について、自分で考えて、自分の立場の「理由」を説明できるようにして、そしてお友だちと議論してみてください*。そうすると、知識を補う必要を感じたり、重要なことを提示している人の本を読んでみたくなったりするはずです。勉強するということは、そういうことです。
(*政治の話なんか同級生とできないという人がいるかもしれません。でも、それでは民主主義は成り立ちません。立場が異なる人ともちゃんとお話しできること、そして意見は異なっても普通に仲良くできること。これが民主主義の条件です。)